回転木馬のデッド・ヒート
自分の人生で、こんなに村上春樹さんの作品を読む日が来るとは…!
大好きな先輩に教えてもらって、この夏、足繫く通っている読書会。
やっぱり、一人で読んでも「うーーーん…(よく分からない)」ってなるけど。
皆さんの話は、何時間でも聞いていたくなるから不思議です。
今回は『回転木馬のデッド・ヒート』を📖
とにかく「はじめに」の文章が大好きすぎて、繰り返し読み直しました。
(本編の作品たちは、一人だと「?」となったけど)
今回は、「はじめに」について書くので、ネタバレが心配な方も安心してお読みください。
「聞く」の代償
とにかく、この例え話の文章が大好き。
私が、繰り返し読み返した理由の一つです。
ここでの”おり”は、恐らく「澱(おり)」のことです。
吐き出されず、体の中に溜まっていく沈殿物みたいなもの。
村上さんが翻訳しているカーソン・マッカラーズの小説『心は孤独な狩人』のエピソードなのだそうです💡
”我々はどこにも行けない”無力感
”おり”という例えがピッタリ過ぎて、思わず鳥肌が立ちました。
なぜかというと、思わず頭に浮かんだ人たちがいたから。
さらに、ここからが本当に大好きな文章で。
「回転木馬のデッド・ヒート」なんて、どうやったら、こんな秀逸な表現ができるんだろう。
きっと、誰にでも身に覚えがあることで。
だからこそ、余計にこの文章は重みがあると実感しました。
大好き過ぎて、繰り返し読んでも、全く飽きない。
自分が、心から大好きな文章なのだと思いました。
回転木馬を降りるのか、回り続けるのか
同書は短編集で、回転木馬を降りる人もいれば、回り続ける人もいて。
現実の自分は、これからどうしたいのか?
強く考えさせられました。
もし自分がもっと年を重ねた時、この文章を読み返したらどんなことを思うのか?
これからも読み返し、その度に自問自答していきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました🍀