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RITUAL(リチュアル)―儀式とランニング

ご紹介するのは『RITUAL(リチュアル)人類を幸福に導く「最古の科学」』です📖

私、いわゆる”スピリチュアル”的な話は苦手なタイプなのですが、本書は楽しく読めました!

「認知科学」の手法で儀式(=RITUAL)を評価しているので、その辺りが心配な方にも、おすすめしたい1冊です😊


心を整える儀式

特に印象に残ったのは、「儀式は、心理面で重要な役割を果たす」という考え方💡

もっと言うと、心と体をうまく使うこと。

だから、儀式の中には体の動きと姿勢・呼吸や感覚刺激を整えるようなものがあるのだそうです。

例えば、深い「瞑想」がイメージしやすいでしょうか。

気持ちの”スイッチ”を切り替えるための儀式。

瞑想=現代という雰囲気ですが、実は、ずっと昔から、人間はさまざまな儀式を日常に取り入れてきたんですね。

村上春樹さんとランニング

本書を読みながら、思わず思い出したのが、『走ることについて語るときに僕の語ること』📖

ものづくりに関わる方々は、きっと、村上春樹さんの小説家としての考え方から受け取るものがたくさんあると思います!

『RITUAL』では、「気分が高揚して、多幸感がわき不快感がやわらぐ」ものとして、長距離ランナーのランナーズハイが紹介されています。

黙って自分の中に呑み込むと決めた「不快感」との向きあい方の手段として、村上春樹さんはランニングを挙げています。

★この文章、全て、まるっと大好きなんです…!

誰か故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。
いつもより長い距離を走ることによって、その分自分を肉体的に消耗させる。
そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということを改めて認識する。
いちばん底の部分でフィジカルに認識する。
そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。
腹が立ったらそのぶん自分に当たればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。
黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを(できるだけ姿形を大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。

走ることについて語るときに僕の語ること

多幸感がわくほど長距離を走ったことないけど、私も悔しい思いをした時ほど走りたくなります。

肉体の消耗を感じることで「自分が能力に限りのある、弱い人間だ」と客観視し、冷静になっていたのかもしれないなと。

私の中で、改めてランニングは大切な儀式だと実感しました。

皆さんにとっての大切な儀式、無意識から意識へ、ぜひ感じてみてください🍀

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