偉人は偉業を成すために生きてない【日本測量・伊能忠敬】

伊能忠敬(いのうただたか)と言えば、初めて実測で日本地図を作成したことで有名。

社会の授業で聞いて、以上終わりの人物の一人。それ以外のことは何も知らなかったのだけど、スピリチュアルを学ぼうと色々本を手にしてみて、なぜか今日は伊能忠敬にたどり着いた。そして、偉人というのは偉業を残すためには生きてないことに感嘆の声が漏れる。

そもそもさ、日本中を歩いて測量して、日本地図作っただけでもすごいのだけど、彼の偉業ポイントはそれじゃない。ということで、かじったエピソードを書いてみるよ。


幼い頃から学者になりたい(志あるねぇ)
特に算術と天文学に長けていて、根気強さがあった。
酒造や海運業の商売を始めると、算術(計算にめっぽう強い)×根気強さ(地道にやり続ける)、強みを活かして一代で財を成した。

50歳前には超大金持ちになって、子に事業を譲り、隠居生活開始。

で、ここから好きな天文学を学ぶために江戸に向かい、19歳年下の高橋至時に弟子入り。寝る間を惜しんで、天体観測や測量を学ぶのだ。(えっ、隠居じゃないん?!って感じだし、年齢に関係なく師に学ぶ姿がすでにでかい器)

当時、役人でないと天体観測機器には触ることすらできなかった。が、大金持ちの忠敬。自費で観測機を作ってしまうのもすごい。

天体観測で様々な惑星についても調べることができるようになっても、まだできないことがあった。それが地球を探究すること

自らが生きる地球はどのくらいの大きさなのかを観測したい。

それが忠敬の夢。

当時、暦学者の間で論争となっていた「緯度1度の長さはどれくらいか」に興味を持つ。「経度1度の長さ」は、その数値に360を掛けると地球の円周が分かり、地球の大きさを知ることができるというもの。地球が丸いということは分かっていたが、どれくらいの大きなのかは未知だったから。

星の緯度を全国各地で測量する名目が必要で、師匠にも取り計らってもらい、北海道までの測量ができることになった。

ここで初めて地図に繋がる。

本当にやりたいことは地球の大きさを知ること!知的好奇心でスタート。名目上、地図づくりが必要だったというわけだ。

測量開始はなんと55歳。パワフルおじいちゃんと呼んでも良かろうか。それから17年間10数回にわたり、全国各地へ測量に向かう。最初は歩数で距離を計算してたよう。一歩の歩幅が正確になるよう歩く練習をしたと。

頭だけじゃない、体もフル活用のおじいちゃん。

一度目の測量での地図作成の完成度が高く、その後も地図作成のために測量が許された。地図を作るというお役目と、地球の大きさを正確に知りたいという探究心。

日本地図を作るために、日本中を歩いた人じゃない。
地球の大きさを正確に測りたくて、日本中を歩いて天体観測をした人だ。

それが偉業につながる。
でも、本人は偉業のためなんて思ってない。

“日本国中を測量したことは私の天命でした”

知的好奇心が大義を持ち、天命となったのだろうか。


もうひとつ、忠敬の名言に
“人間は夢をもち前へ歩き続ける限り、余生はいらない”があるんだけど、人生100年時代のパイオニアとも言われる人だよね。セカンドキャリア、リタイア後に偉業を達成するなんて有言実行半端ない。

後ね、忠敬は全国の測量を終えて、地図完成を最後の仕事とするのだけど、地図が完成する3年前の74歳で亡くなるの。ただその死は伏せられて、弟子たちは急ピッチで地図の仕上げをした。そして1821年「大日本沿海輿地全図」は完成!

彼の死を伏せたのは、伊能忠敬の業績として世に認知してもらいたい弟子たちの思いからだったそう。このエピソードだけでも忠敬の人格を表してるとしか言えない。

好奇心の探求はどこに繋がるか分からない。成果は後からついてくるだけ。
師匠や弟子に恵まれた彼だけど、そうなる生き方をし続けた。


伊能忠敬ってめちゃすごいやん!と思って、意気揚々と夫に話したら、ほとんどのポイントを夫は知ってたよ。マンガねこねこ日本史を見て知ってたんだってさ。超ネコ好きは、ネコを通じて歴史にも明るくなれるようです。

何がどう繋がるかなんてわからない。
夫、ちゃんと体現してくれてる。
私もスピリチュアルを学びたい欲から天文学、伊能忠敬に繋がるなんて想定外。



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