言葉と文字を持たない世界ですごせる時間
今週末は初盆のため義実家に帰省。義実家のみなさんは、ぐーたら嫁を諫めることもなく、家族三人で帰省することを大いに喜んでくれる。
子どものように純真な義父と、距離感をうまく保ってくれる気品のある義母。
ただ憂鬱なことが・・・。
夫の家系はみな賢い。教育に対して自然と熱心になり、家族揃うとボードゲーム、数学の読解、なぞ解きを永遠やり続ける方々。
頭を使うことが好きなのだろう。そして帰省すると、義父は積極的に言葉や文字を娘に教えようとしてくれる。
それに対し『まだ教えたくない』こだわりのある私。
娘の言語吸収力を見ていても、現時点で問題を感じない。どちらかというと積極的かつ早期に覚えていってるようにみえる。どうせ絵本を読み続けていたら、いつかは文字も覚えるだろう。
もし90年生きられるとしたら。
言葉を持たずに生きられる時間はたった2年。88年は言葉と共に生きる。
文字を持たずに生きられるのは、きっと4~5年程度。85年間は文字と共に生きる。
一度覚えると消えない言葉と文字の世界。
耳から入ってくる音の多くが言葉となり
目から入ってくる景色の多くが文字となる。
大人になったからこそ感じる。
音や景色の味わいをそのまま感じることが難しいことを。
だからこそ、体を目いっぱい使って、音や色や景色を堪能して欲しい。言葉も文字もない世界の中で。
という母のエゴなんだけどさ。
音と景色の世界で体を存分につかって楽しんでほしい想い。
この想いを、ぐーたら嫁はきっとお義父さんに伝えることでしょう。
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