再結成の時を夢見て、、、 〜ギターを続けるワケ〜
高校文化祭
学生の頃バンドを組んでいた。
バンド名はS→ZERO(エスゼロ)。メンバーの一人が暖めていたバンド名だった。
SはSTARTの略でSTART ZERO、つまりはどんなに大きくなっても「初心を忘れるべからず」という意味だった。
当時の自分は父の影響でアコースティックギターで弾き語りをメインにやっていたため、エレキギターのテクニカルなフレーズが性に合わず、練習さえ嫌いになってしまい、仕方なく枠が空いているVocalとしてステージに立っていた。
文化祭当日 ステージの怖さ
高校の文化祭がステージデビューだった。
それはもう、連日のようにスタジオ入りして練習を繰り返していた。
前日も明け方までスタジオに入って睡眠もあまりとらずに当日を迎えた。
上がり症だった自分は何とも言えない緊張感に包まれていた。
数バンドが出場する中で出番は最後。
「あまり緊張しない」と言っていた友人のバンドはボーカルの歌詞が飛んで視線は宙に浮いていた。
「あの人が何故!?」
疑問だった、、、同時にステージの魔力に負け、自分もさらに緊張感が高まってしまった。
そして次に1番人気のメインバンド。
演奏が始まった彼らはライブ慣れしているはずなのにも関わらず、ドラムが走りすぎてしまいリズムを完全に失ってしまっている、、、誰が見ても失敗といえる状況だった。
「どうして、、、!?」
「ステージ・本番では何が起こるかわからない」
このことを痛感させられた瞬間でもあったし、緊張感というものは何を起こすかわからない怖さも知った。
しかし、それを乗り越えてこそ見える景色や達成感が得られるのも事実。
そして迎えた本番、、、幕が開いた瞬間、会場に居た大勢の生徒達が全ライブが終了した後のようにズラズラと帰って行く後ろ姿が見えた。
残ったのは友人・知人の15人~20人くらいだったろうか、さっきまでいた大勢は体育館の外へ出て行った。
その光景を見ていた僕は、不思議なことに焦りも感じなかったし、悲しいとも思わなかった。
むしろ「好都合だな」と感じ、さっきまでの緊張は
「これなら大丈夫、行ける!!」という確信に近い感覚に変わっていた。
なぜそう感じたのかは今もわからないが、一つ理由があるとすれば極度の緊張感が振り切れてそう思わせたのかもしれない。
もはや身内の前でライブをするような感覚の観客数を見て、
「これなら緊張せずに終わることができる」
「むしろやりやすいな」とまで思っていた。
感覚通り緊張もなく、練習してきたことの90%くらいは出せたと思う。
思わぬ箇所で声が裏返ってしまうという失敗はあったが、その後は落ち着いて演奏を続け無事に文化祭のステージを終えることができた。
このときの成功と達成感は何者にも代えがたい財産となり今日まで生き続けている。
そしてこの先も生き続けるだろう、、、。
変な噂
文化祭1ヶ月前、、、
変な噂が僕の耳に入ってきた。
「僕らのバンドがステージに上がったらメチャクチャにしてやる」
そんなことを計画しているグループがいるという話を友人から聞いた。
「そんなことをされるのならば降りよう!」とメンバーにも告げた。
当時文化祭ステージ担当の先生に事情を事細かに告げた。
先生は静かに僕の話を聞いてくれた。
「メチャクチャにするなんて本番中に絶対できないし、そんなことはおれが絶対にさせない」
「だから降りるなんて言っちゃダメだ、参加することに意味がある」
「文化祭のステージに立ったという思い出は一生の思い出になるから出なさい」
不安はすべて消えたわけではなかったが、この言葉で参加しようと考え直した。
先生の言う通り、当日事件は起きなかった。
事件を起こそうとしていた当人達はその場にいなかった。
恐らく体育館を後にした多くの生徒の中にいたのだと思う。
「参加することに意味がある」
この言葉は今でも僕を支えているフレーズだ。
新しいことにチャレンジしたいとき、勇気が出ずに踏みとどまって迷ったときには必ずこの言葉を自分に言い聞かせる。
あのとき勇気を持って行動したからこそ、「文化祭のステージに立ったことがあるよ」と今言える。
こういった経歴は履歴書に書けることではないけど、今も僕を強くしてくれているし、成功体験の1つとして僕の中でずっと輝いている。
その後、卒業を迎え僕らは無事に高校生活を終えた。
バンドはこれからも続けようというメンバーの固い想いがあり、今後も公共のステージでライブをすることを計画していた。
地元県内で2回の対バンライブ
そして卒業後にも宣言通りに県内で2回ライブを行い、それなりに結果を得ることもできた。
しかしメンバーそれぞれ進路が違ったこともあり、新しい生活との両立は難しくバンドはいつの間にか自然消滅してしまっている。
今メンバーはどうしているだろうか
連絡先も途絶えてしまい、今メンバーがどうしているかさえもわからないが、完全に楽器を辞めてはいないだろうと思う。趣味程度には続けてくれているのではないかと考えている。
また突然再会できる機会があるかもしれない、そのときが来たらすぐに自分が動ける状態でいたいと思っているので、僕は今日まで苦手だったギターを辞めてはいない。
決して上手くはないし、たいしたフレーズを弾けるわけでもないが、全く楽器に触っていないよりは、少しでも触っていることにアドバンテージはあるに違いないと考えている。
いつ声が掛かっても準備ができている状態でいたいのだ。
それに、どんなに下手でも、毎日弾いていなくても自分が辞めたと決めない限り挑戦は続いているのだ。
もし、この記事をメンバーの誰かが読んでくれていることがあったら連絡してくれたら嬉しい。メンバーならばS→ZEROの意味を読めばピンとくるはずだ。
エピローグ
エレキギターを始めたキッカケと聞かれれば、高校の頃バンドブームで周りの友達も楽器をやっていたということと、自分もアコースティックギターからエレキギターに移行していかないと共通の話題がなくなってしまって友達ではいられなくなるかもしれないという怖さもあったのが本当のところだ。
小学校の頃、話題のゲームを所有していなくて話に入れないという感覚に近いものだったと思う。
それが今やVanzandtでギターをセミオーダーするまでになった。
Vanzandtでオーダーした詳しい経緯は別の機会にしようと思う。
いつか再結成の時が来るのだろうか、、、、今は誰にもわからないな。
でも声を掛けてくれたときには迷わずに返事する!
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