#9 ~私たちのシェルパ🗻ギフティッド(ギフテッド)~
我が子の特性に最初に気が付いたのは小学校の保健室の先生でした。
「すぐに知能検査を受けて、国立か私立に転校させてあげてください」
日本の教育の中で特に疑問も持たずに育ってきた私にとってその言葉は衝撃でした。
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まだギフティッドという言葉が日本で知られていない時代でしたが、その先生はたまたま研修を受けたそうで、ご自身の長い教師生活の中でも「この子がそうだろう」と確信を持ったそうです。
我が子は言語理解が高かったので、わかりやすいタイプだったのかも知れません。
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簡単すぎる学校の授業に興味を持つことが出来なかった我が子は、
加えて、自分が興味のある分野の話しをすると、クラスメイトが離れていくことにも、早いうちから気付いていました。
結果的に聞き役。
穏やかな気性なので、クラスメイトからは慕われていましたが、「ほんのたまにでいいから自分の話しを聞いてくれる人も欲しい」と泣きました。
目を輝かせて入学を心待ちにしていた我が子が、たったの数週間で死んだ魚の様な目に......
私は養護の先生の言葉が正しかったことを理解しました。
それからは長く険しい山道の連続でした。
まずは様々な相談機関にアタック!
当時の日本でギフティッド専門家を探すことは困難で、相談できる場所が見つかりませんでした。
次に訪れた英語の障壁!
英語の成績が悪かった私は、極力英語に関わらない様に生きて来たのに、情報がすべて英語という過酷な状況に。
いったい何のバツゲーム???
しかし逃げている者を見逃してはくれないのが人生!
「英語がニガテなのに、情報が英語しかない子育て」を実践することとなりました。
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親って「自分のためにはムリでも、子供のためなら立ち上がれる」ものなのかもしれません。
更に、
手探りの中でもここまでやってくることが出来たのは、その時々でシェルパの役割を果たしてくださった方との出会いがあったことも大きいと感じています。
そして、最初のシェルパはまさしく養護の先生でした。
「何度転校してもいいから、この子に合った場所で育てていってあげてください」
我が子が不登校になった時、居場所作りに悩んだ時、私はこの言葉に何度救われたことでしょう。
先生との出会いが無かったら、私は我が子に何が起こっているかもわからず、きっと子供を潰していたと思います。
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理解者作りや居場所探しが難しいギフティッドチャイルドですが、
一人でもわかってくれる人が居たら、きっと前に進んで行くことが出来ると思います。
このnoteを読んでくださった方が、ご自身の周りに居るギフティッドチャイルドの「良き理解者」になってくださることを願って!
読んでいただきありがとうございました!
ギフティッドチャイルドの子育て、不登校、留学を通して我が家が選択してきたアレコレを綴っています。
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