今を生きるということ
今を生きるとはどういうことか
『今を生きる』
これまで、何度となくこの言葉を意識する機会がありました。
最初に聞いたのは映画だったろうか。ロビン・ウィリアムズの演技が印象的でしたが、その頃はまだ意味がよくわかりませんでした。
社会人になって、人生に悩んで、自己啓発系の本を読むと、今を生きるという言葉をよく聞くようになりました。
過去や未来に囚われず、今を精一杯生きるのだということはわかったのですが、そう言われてもやっぱり過去の嫌な出来事は思い出してしまうし、未来の生活を思って不安になります。
どういう状態になれば今を生きていることになるのか、正直あまりピンときませんでした。
しかし、幸せとは何かを考える時、どうしても今を生きるという言葉は、外せないように思うのです。
道は開ける
先日、少し前に上司から叱責を受けたことがあって、半年経っても時々思い出しては辛くなっていました。
こんな自分から抜け出したいと思っていたところ、たまたま本棚からデール・カーネギーの『道は開ける』という本を取り出し、その本が悩みを解決する話だと思い出しました。この本は、人を動かす、話し方入門と共に名著として名高く、私も二十年ほど前に購入して、何かあるたびに読み返してきました。
久しぶりに手に取ると、道は開けるは、悩みへの対処法をテーマにしていたことに気が付きました。
そして本の冒頭の部分で、悩みの原因は、「過去の失敗を今も引きずっている」「起こるかわからない未来をみている」ことと書かれており、未来と過去に囚われないための解決方法は、「今日一日」を区切りとして最大限に活用すること、とあったのです。
その中で印象に残った表現は、「過去と未来は鉄の扉で閉ざす」というものです。私にはこの表現がとてもしっくりきました。
ずっしりと重く、簡単には動きそうにない鉄の扉を閉め、過去の嫌な思い出を断ち切る。一度閉めてしまえば視界も音も一切を遮断してしまうのです。
それからというもの、私はあのときの上司の顔を思い出すたびに、心の中で鉄の扉を閉めるようにしました。
前後際断
良いものに巡り会えたと思って嬉しくなり、同じような話をYouTubeで検索しているときに、『前後際断』という言葉が目に入りました。
これは、禅のことばで「過去にとらわれず、未来を憂うことなく今を生きよ」という意味だそうです。
アメリカで生まれ育ったデール・カーネギーが禅の影響を受けたかどうかはわかりません。ただ、本には別の人の経験からそう考えたと書いてあったので、関係ないと思われます。
前後際断は一説によれば江戸時代の沢庵和尚の言葉だそうですが、あるお坊さん、またあるアメリカ人が生きていく中で気がついた、『今を生きる』大切さ。やはり真理なんだなと思ったのです。
それでも難しい、今を生きる
こうして、悩みへの対処法は私の中で腹落ちしたのですが、それでもなお、今を生きることの本質はよくわかってないように思います。
いまだに過去の嫌な記憶は蘇り、辛い気持ちになります。あれだけしっかり閉めたはずの重い扉が、気付かないうちに時折開いてしまっているのは不思議です。
お金は大丈夫か、など将来の不安もなくなりません。
今までと少しだけ違うことは、そういう不安に苛まれたときには、過去と未来に鉄の扉を下ろすこと、そして、毎朝新しい気持ちで過ごすように心がけていることです。
これがごく自然にできるようになった時、
今を生きている
と言えるのかも知れません。