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教育に焦点を―教育は育つ者への信仰だ

2023/7/20(木):教育に焦点を⑪



はじめに


 ページを開いて下さってありがとうございます。
 教育について考えていく木曜日。
 今日は、もうすぐお盆…戦争の歴史についても着目することのある時期ではないでしょうか。
 そこで、教育の第一人者とも呼べる人物の、戦時下の教育と戦争を経験してもなお変わらなかった教育論について学んでいきたいと思います。
 今日取り上げる教育者は「倉橋惣三」。「日本のフレーベル」「保育の父」と呼ばれる、日本の幼児教育の基礎を築いた人物である。

戦時下の教育について

 彼は、のちに「子供賛歌」の中で、その当時のことを次のように書いている。
「空から火箭が飛んでくる。爆焔は人畜を焼き爛らす。こうした、なまなましい焦熱地獄の中で、おとなたちが、あるいは怒り闘い、あるいは恐れ逃げまわっている間にも、幼い子らは必らずその貴重な幸福を、楽しい遊びの場と、正しい導きによってだれかに保証されなくてはならぬ、それこそ、自分の生命を護るに次いでのおとなの責任である。責任などと考える前に至情である。至情は常時にあっては、あたりまえであり、非常時においては必須の努力である。」

「倉橋惣三・その人と思想」:坂元彦太郎 P170~

緊急時の保育・教育を思う


 戦時中に子どもと向き合っていた彼が、現場の中で「大切」と主張し、心がけていたのが以上のことである。
 戦時中、子どもの生命の維持には注力されても、常に非常事態下にあるような社会の中では子どもの心の平穏にまで目を向けられない…というのが実際ではないだろうか。
 倉橋は、「身をもって幼児を護る覚悟をしながらも、幼児らには、非常時だからこそ常時以上のなごやかな楽しい幼稚園を与えることにつとめる。」と語っている。
 戦時下ではないが、震災の時など「和やかであることを好ましくないこと」と捉える傾向にあったことからも、戦時中の倉橋の気付きは、子どもの本質と心理を深く理解慮った新しくも大切な提言ではないかと思う。

戦時下の教育

 同じく戦時下・戦後の教育について言及している教育者に、中学校国語教師の大村はまがいる。
 彼女は戦時中、「千人針」などの指導も行い、それがその時には正しいことであると信じていたという。
 戦後、荒れ果て傷ついた人々を目にして、自身の信じていた教育が間違っていたのか…と自責の念に苦しみ、正しい教育を自身に問いながらも戦後の荒れ果てた環境のなかで青空教室での教育に望んでいたという。
 その青空教室で、それまで暴れていた子どもたちが学ぶ機会を得るとむさぼるように汗をかきながら学ぶ…という姿を目の当たりにし、自身の教育観が大きく変化したという経験と、「本人が能動的に学ぶ」ということの大切さを伝えることに尽力した。
 学ぶこと、子どもの心を伸ばすこと、心の成長を理解し意味を問い続けることができることは教育者としての一番の能力なのではないかと私は考える。


 では、以下より倉橋の戦後の実践と変化について触れ、考察を深めたい。
 

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