教育を考える―家庭の役割と教師の役割
2023/1/19(木):教育を考える⑭
今日も教育について考えていきましょう。
今日も大村はま先生の「家庭の役割」について。
はま先生が教壇に立たれていた時代の背景として子育て=母親の仕事の意識がある為「お母さまの仕事」という風に表現されていますが、これは今の社会ではもちろん母親だけの仕事ではなく、父親にも言えることだと考えられます。
どうぞ「父親」な方も、「嫁の仕事」なんて思わず「自分事」として読んでもらえたら嬉しいです。
では!引用文献に目を通してみましょう。
子どもに親としてできること…そんなことは子どものいない私には想像もできないほどに、日々「親」である皆さんは考えられていることだと思います。
そんな結果陥ってしまいがちなのが、「先生っぽい」行動。これに対して、はま先生は「それではダメ!」と明言されています。
そんなことよりも、学ぶことを楽しいと思える環境を作ること、楽しいと思い続けられるような土台作りをすることは親にできる最大の役割であり、逆にいえばこの土台を潰さないでやってよ!というのがはま先生の願いだと思います。
言葉を変えるなら、「知るって楽しい!」「分かるって嬉しい!」「考えるっておもしろい!」の気持ちを伸ばして、意欲を継続してやるのが親の役割であり、共感したり興味をもったりしてもらえることが一番嬉しい相手が親なのだということです。
例えば、子育て相談などで子どもの勉強をいかにやらせるか、いかに嫌なことも乗り越えさせるか…のような論調で語られていることがあります。
…これ、子どものいない私の空論で申し訳ないのですが、「勉強=苦行」と捉えている時点でナンセンス!
学ぶこと、知ること、分かること、できるようになることの面白さをいかに深めてやれるかで子どもの宿題は面白くて魅力的な物になります。
読書も勉強も同じ、面白さの本質を知らずに「嫌でもやらなきゃ」なんてしょうもない価値観の大人によって、子どもの
面白い!何で?!不思議!すっげー!!
な気持ちは萎んでしまうのです。
本来、子どもは学ぶことが大好きなもの。
だって小学校入学前、お兄さんお姉さんを真似して、勉強ごっこをしていましたよね?
それが、本当に勉強する側になってしまうと、いつの間にか苦行になってしまう。何故か?
理由は簡単です。「勉強なんて面白がるわけがない」と決め込んだ大人が、そのしょうもない価値観で「面白くもない宿題、早くやっておきなさいよ。先に嫌なことは片づけなさいよ」とイメージ付けしてきたから。そして同時に「めんどくさいもの」と思い込んでいる大人にとってその子どもの宿題をみるのもめんどくさいもの。それが子どもに伝わっているのです。
たまにおばあちゃんなど、子どもにとってイレギュラーな存在がいる時、子どもの様子はどうでしょうか?いつもは後回しな宿題を何だかドヤ顔でやって、嬉々として今やっている説明をしたりしていないでしょうか?
そんな様子、「ええかっこして」なんて笑うのは楽ちんだけど、本質はどうなんでしょう?おばあちゃんは孫が、「もうこんなに難しい勉強してるの?」なんて興味をもって見て、褒めてくれるから、子どもたちは嬉しくなっているのではないでしょうか?
反対に「こんな小さいのに勉強させられて、可哀そうに…」なんて目で見られたら、子どもの様子は全く別のものになります。
つまり子どもの学びや興味の方向性は、近くにいる大人のかかわり一つで大きく変わるものなのです。
気を引き締めて、子どもと向き合いたいものですね。
大人のせいで大好きを取り上げることのないように…。
まずは子ども自身に、そして子どもの思いに興味をもって、子どもの見ている世界を覗き見できたら…きっとその世界はとっても素敵なものであると思います✨
(水たまりにいるアメンボ、どこから来るか知っていますか?私は3歳の教え子に教えてもらいました!子どもの目線に興味をもつだけで、子どもの興味はドンドン深化します。大人の見える世界も変わりますよ)
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