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教育に焦点を―人として失礼をしない教育とは

2023/6/22(木):教育に焦点を
 教育について考察したい木曜日。
 今日は大村はま先生の教育に対しての考え、プロとしての子どもへの向き合い方から学び、考察していきたいと思います。

はじめに

 今日注目したいのは、教師と生徒の会話について。
 はま先生は中学校の国語教師ということもあり、ことばを使うということとプロとしての教師の仕事に、凛とした厳しさを持った人です。
 なかでも今回は、教師と生徒との間になされる問答について…そしてその問答をするうえでのプロとしての教師の姿勢を学んでいければ…と思います。

教師と生徒の問答を考える


授業での問答のときには、教師がよく知っていること、答えをしっかり胸に持っていること、それを子どもに聞くということがほとんどだと思います。(中略)教師はよく「ほかに」「ほかに」と言いますが、その教師自身は、ほかに何を考えているのかしらと思うことがよくあります。
 こういう場合は、教師自身に発言してもらったほうがよほどよい、と思うことがあります。(中略)私はもっと教師がほんとうに聞きたいこと、聞かないと困ること、それを子どもに聞く機会をもたないと、ほんとうの問答の力がつかないし、問答の必要感もでてこないと思います。自分がよく知っていることを相手に聞くということは、普通の生活では無礼なことですから、しません。

「日本の教師に伝えたいこと」:大村はま P82~

 「それで?」という教師の問いかけは、教育現場であまりにも当たり前に見られる姿のように感じる。
 しかし、この質問を繰り返す教師の頭の中に「自分が知っていることを聞くのは、本来失礼」という意識があるだろうか?大人相手であれば失礼と分かっていることでも、「自分が教える側である」と実感した途端、「教えているのだから」と勝手にテストをする側に向かってしまう。
 正直、私自身このはま先生の言葉を見た時に猛省し、もっと違う指導と声掛けはなかったものか…と考え込んだ。

 …きっとはま先生の言おうとされていることとは範囲が違うが、この「教師の無意識」の厄介なところは、道徳的教育の場面でも「それで?」と教師の納得いく返答がでるまで詰めてしまうことが多いということだ。

 この「教師が答えをもったうえでの問答」を繰り返していると、子どもたちは自分の考えではなく、「大人が納得する答え」を探してしまう。教育して備えるべき力ではないはずである。

 では、どう気を付けていけば良いのだろうか。
 以下、はま先生の教えから、もう少し考えて行こう。

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