不便なカメラが選ばれる理由/#296
カメラ技術の発展は目まぐるしい。市場の変化と高速通信によって写真から動画へと需要はシフトしている。特にショートムービーに起業も参入しておりテレビCM以上にYouTubeや TikTokで広告を目にするようになった。
昨今のカメラは動画性能が引き上げられており、Vlocカムや動画に応じたレンズ設計になっている。それだけ動画性能を追求されるようになった証拠かもしれない。特にSONYのカメラはそれが顕著に表れている。α7シリーズはmarkⅢ〜Ⅳでも十分クリエイティブな動画撮影が可能だ。
一眼レフ時代は動画がおまけのようなものであった。しかし現在においては写真も動画も同等レベルの性能を有したオールラウンダータイプが多い。AF性能、高感度耐性、動画性能などどれも平均点以上という器用さには脱帽する。
その一方でフィルム時代から変わらずファンが多く憧れの的となるカメラがある。それがライカだ。あの赤丸にLeicaと刻まれたロゴは見覚えがあるだろう。高価なカメラであるにも関わらず写真しか撮れないカメラ。MFが基本であり今のカメラほど操作性は良いと言えない。けれどそのデザインが故に強制的に撮るという体験に特化したカメラと言える。
これは電子書籍をタブレットではなくKindleで読むのに類似している。Kindleは電子書籍しか読めない。タブレットのように慣れ親しんでアプリやSNSは使えない。読書中に通知が来ることもない。書籍しか読めないのだから不便に思うが、故に本そのものに集中できるのだ。
Leicaもその類なのかもしれない。あくまでも想像に範囲だが色んな書籍や使用者のレビューを見る限り写真に寄り添えるからこその魅力がたっぷり詰まっている。今も昔もファンが多いのに頷ける。
カメラに限らずだがあれもこれもと欲張ると、結局のところ1番大切なものから遠ざかってゆくもの。本当に必要なものは何なのか?必ずしも新しいもの、高いものが絶対ではない。自分自身が価値を感じているのかを大切にしたいものだ。
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