【心中事件を乗り越えてー後悔しない生き方ー】
今も皆必死で、コロナに感染しないように、させないようにと、マスク・アルコール消毒・ソーシャルディスタンスなどに取り組んでいる。
その理由は色々あるけど、コロナ禍がこれだけ問題になったのは、私たち誰もが向き合うことを恐れる「死」という現実が日常に入り込んできたからだと思う。
人はなぜ死ぬのか?
こんな重いテーマについて、私は中学生の時から考えていた。もちろん答えなんてわからなくて、ただ考えるしかできなかったけど。
面白いことにその問いは、月日が経つにつれて「なぜ死ぬのに生まれてくてるのか?」という問いに変わっていった。
「死」について考えると、同時に「生」についても向き合わされる。
なぜなら「自分は生きている」から。
自分だっていつかは死ぬのに、今こうして生きている。
こうしてこの世界に生まれて、今ここにいる。
楽しいことも悲しいことも、辛いことも全て含めて「なぜ人は死ぬのか」と考えることさえも、生きているからこそ体験していることなんだということに気づいていく。
「なぜ死ぬのか」
「なぜ生まれてくるのか」
「命とは生きるとは何か」
こんなことを考えると、普通に日常生活が送れなくなるから、私のように考えすぎることはお勧めしないけど(笑)
でも「人の命には限りがある」ということは、いつも心の片隅に置いておくのは悪くないと思う。
私は13歳からの6年間で、ある日突然、何の前触れもなく家族が3名亡くなった。「命」は明日も当たり前に続くわけじゃないことを3回も体験させられた。
今日会えた人が明日も会えるとは限らない。
自分だって明日にはどうなるかわからない。
ほんの少しでもそのことに気がつくことができたら、「限りある命を使って」自分は何をしたいのかが見えてくると思う。
今やっていることを本当に続けたいのか
許せない人を憎んだままでいいのか
最近心から笑ったのはいつなのか
自分のことをどれくらい誇れることができるか
本当にやりたいことは何か
いつまで自己否定を続けるのか
心から誰かを、自分を愛することができているか
怖くて向き合えないことにいつ向き合うのか
人生は毎日が再出発の日で。決意されすれば、覚悟さえ持てば、そして命さえあればどんな自分にもなれるし、どんな日常も作ることができる。
「なぜ死ぬのに生まれて来るのか?」
その答えはまだわからないけど。一生わからないかもしれないけど。
自分にも死は訪れる。「限りある生」があるということに正面から向き合った時に「どう生きるか」「どう生きたいか」の答えは見えてくる。あとは、それを生きる勇気を持てるかどうかだけだ。
私たちの人生に「コロナ禍」という変化がやってきた。
マスクや消毒、ソーシャルディスタンスで私たちの命を守るのと同じくらい、今年は「死」と「生」について向き合ってみるのもいいのではないかと思う。
不満・愚痴・自己否定の毎日を守ろうとしているのか?
それとも、今回のことで気づいた「限りある生」を精一杯生きるために命を守っているのか?これからどんな自分を生きるのか?
もし「どう生きたいか」が見えてきたら。実は「死」は怖いことじゃないとわかる。本当に怖いことは、「自分の人生を自由に自分らしく生きられないことの方だ」と気づくから。
そこに気づく人が増えて欲しいなと、勝手ながらに思う私です。
まい先生(中村舞)
マイコーチングオフィス代表。企業研修講師&プロコーチとして15年。5000人以上を指導。コロナ禍をきっかけに、13歳の時の心中事件で家族3名を失った体験を乗り越えた経験と「どんな出来事があっても、どう生きるかは自分で選択することができる」という生き方を分かち合う。
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