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自信がなくて垢抜けなかった私が、ミセスインターナショナルの世界の舞台に立つまで


こんにちは!マイサ(和嶋真以)です。

ミセスインターナショナル2020日本大会にてグランプリを受賞
ミセスインターナショナル2021世界大会にて日本人初のトップ16に。

私は元プロダンサーで、普段はパーソナルトレーナーとして東京・代々木にサロンを構え、女性達のボディメイクやファスティング指導などの活動しています。

現在、私の人生全ての経験や、ミセスインターナショナルグランプリとしての学びを生かし、私が知った「究極の健康美」を女性たちに伝えています。

今、私は自分史上最高にハッピーで愛と感謝に溢れた生活を送っています。心身ともに今が一番ベストな状態で、夫からも子供達からも溺愛される毎日。やりたいことがたくさんあってワクワクした日々を送っています。

世界大会後は、某有名健康雑誌への掲載も決まり、10代の頃より20代の頃より、今の私が人生で一番好き。心の底からそう思えることが何より幸せです。

「私は美しい、素敵だよ!」
今はこんな気持ちで胸を張って街中を歩いています。ミセスの舞台でランウェイを歩いたあの時にように。

でも、以前の私は全然違いました。

・トレーナーなのに「垢抜けない」「普通」と言われてしまうほど冴えないビジュアル
・ボディメイクのプロなのに万年ダイエッター
・「痩せることができたら幸せになれるのに」が口癖
・自分に自信がなさすぎて、いつも誰かの影に隠れていた
・そもそも友達すらずーっといなかった

信じられないとよく言われます笑。でも、本当にそんな時代があったんです。しかも、つい数年前までのこと。

じゃあ、どうやって私はそんな暗い過去から脱出して世界の舞台で輝くまでに至ったのか。
どうやって今が一番幸せ!と笑顔で言えるようになったのか。
そして、私が世界で知った「究極の美」とはなんだったのか。

それをこれからお話していきたいと思います。


1.幼少期の私に植え付けられた価値観

私は、3歳の頃から10年以上バレエを習っていました。プロを輩出するようなバレエスクールです。
週6でレッスンをしていました。貴重な休みの1日も英語とピアノの習い事があり、自由な日が全くありませんでした。

踊ることは好きだったのだと思います。
バレエの優雅な動きはとてもキレイだと思っていたし、あんな風になりたいとも思っていました。
でも、それ以上に辛いことの方が多い毎日でした。

「もっと痩せろ」
「〇〇キロ以上あったらリフトできん」

常に男性の先生からは痩せることを要求されてきました。ただでさえバレエは骨から細い人が好まれるし、男性は女性を持ち上げる演技があるので体重にはかなりシビアだったのだと思います。

当時の私は、世間一般で言えば太っておらず、いわゆる普通体型、むしろ瘦せ型の部類でした。
でも、バレエの世界ではそれ以上を求められ、私の中には「自分はデブである」という潜在意識を植え付けられるのです。

さらに、バレエの世界というのはとても閉鎖的で、バレエ以外のものは全て否定といったような風潮がありました。先生達もかなり厳しく、今となってはかなりのモラハラとも言えるような指導を受けてきました。

暴言、怒鳴るなんて日常茶飯事。
レッスンの時はノートを取るように言われていたのですが、生真面目な私は先生の言った事を一言一句漏らさず書き込み、それを見た先生に大激怒されました。

なぜなら、

「バカヤロー」
「やめちまえ」
「アンポンタン」

そんな言葉ばかりでノートが埋め尽くされていたのですから。

そんな風に言われてしまうほどうまく踊れない自分が情けなくて悔しくて。どうしてこんなにダメなんだろうと毎日泣きました。

そのストレスを食べることでしか発散できなかった私は、バレエの理想体重からはますます遠ざかり、さらに先生に罵倒されてしまう。
そしてまた辛くて食べるという悪循環に陥っていました。

(先生、昨日は怖かったから今日こそは優しいだろうか?…事故にでもあわないかな…。そうすればもうバレエに行かなくて済むのに。)

当時小学生ながら、私は真剣にそんなことを願っていました。だけど、心で願うだけで実際幼かった私には何の力もありませんでした

2.感情を殺した人形だった少女時代


母一人子一人の生活。

母は、私にバレエを習わせるために必死に朝晩働いている。お世話してくれている。期待してくれている。

そこまで私のバレエの成功に夢を持っていた母に、「辞めたい」なんてどうしても言えなかったのです。辛かったけれど、母の期待にも応えたかったのです。

そんな葛藤を抱えながら嫌々バレエを続け、私は笑顔を失いました。自分の喜びを封印してしまったのです。あまりに辛い現実に心が追い付かず、麻痺してしまったのです。

中学生の頃には、あまりに無表情で笑顔を見せない私に、校長先生が母を呼び出したこともありました。「この子は表情がなくて人形のようです」 と。

結局、3歳から15歳の12年間を私はバレエに捧げ、
やりたいことも分からない
何が好きなことで喜びなのかも分からない
忙しすぎて友達すらいない

そんな少女時代を過ごすのです。

3.「痩せたい」に憑りつかれた20代


高校受験を機に、バレエを辞めることができました。私の心身状態もさることながら、母も働き詰めで体を壊し、母子ともに限界だったのです。
高校に入ったら、友達もできて笑顔を見せることもできるようになりました。

でも、あの壮絶な子供時代は、私を長年苦しめる、ある価値観を植え付けることになりました。

それは、「痩せなければ幸せになれない」という価値観でした。

もちろん、バレエだけが要因ではありません。
思春期ですから、自分の体形には敏感です。

世間からみれば、太っているよりは痩せている方がいいだろうし、モデルのように細いとオシャレに見えるし、実際「痩せていることこそ正義」というのがわたしたち女子の暗黙のルールでした。
そういった理由で、私は狂ったようにダイエットに取り組みました。

・カロリーを500キロ以内に抑え運動をしまくる、いわゆる無茶なダイエット。
・糖質制限
・ちまたのエステ
・健康食品を買い漁る
・日本で認可されていないような海外のサプリ・・・

ありとあらゆるダイエットを試しました。

一時は成功しました。血管が浮き出るくらいに痩せ、満足を覚える瞬間もありました。

でも、そういうダイエットは結局は続かないのです。
毎分毎秒体重やカロリーの数字ばかりに気を取られ
体調を崩してフラフラになってしまう。
生理も止まってしまう。
むしろ反動で過食に走ってしまい、体重が激増する。
そんなことを長い間繰り返していました。

「今の私は本当の私じゃない」
「痩せればもっとキレイになれるはずなのに」

鏡に映る自分を見ては、その自分の理想とはかけ離れた姿にため息をついていました。

4、ジャズダンサーからトレーナーへ


大学在学中から、やはり身体で表現することは好きな私は有名ジャズダンススタジオへ通いプロダンサーになりました。バレエよりも自由な表現が出来ることが嬉しかったのです。たくさんの公演の機会や、在学中にCMや国民的歌手のバックダンサーもしていました。

とても充実はしていたのですが、やはり常に体重に振り回されている私は心の隙間を埋めることの無いままでした。体重に気持ちが支配されているので、いつでも簡単に不幸になれるからです。

さらに子供の頃から自分の心と向き合うことを知らない私は自分は本当は何がしたいの?が分からないままがむしゃらに過ごしていていました。

だんだん心がついて行かなくなり、徐々に好きなはずなダンスから足が遠のきました。当時付き合っていた夫からの助言もあり、会社に勤めて働く事を決意しパーソナルトレーナーになることにしました。

大手トレーニング会社へ就職した後、私はすぐに頭角を現します。ダンスで体の動きを知り尽くしていた私は、生まれながらの負けず嫌いさで物凄い速さで会社のNo1になります。まさに、トレーナーは"天職だ"と思いました。

目の前でみるみる体のラインが変わっていくお客様とのトレーニングが楽しくて仕方がないのです。こんなに喜んでもらえて、しかも評価してもらえるなんて会社にいながらも「私にスポットライトが当たってる」ような感覚さえありました。毎日指名のお客様ばかりで忙しかったですが、とても必要とされているというやりがいを感じていました。

しかし…それでも、拭えない潜在意識があったのです。

「私はデブである」
「痩せないと幸せになれない」

恥ずかしながら、当時はトレーナーとして筋トレやストレッチの指導をする立場の私自身が、思うように痩せられないコンプレックスを持ち、自分を好きになれないままお客様に向き合ってました。

当時のお客様である女性起業家さんにも言われました。「マイサちゃんは、腕はめちゃくちゃすごいんだけど、キレイっていうか、まぁ普通だったよね」 
と(笑)

本当にその通り。
自分への自信のなさは棚に上げて、私は技術を磨いてお客様を変化させればきっと許されるだろうと、自らの美へは向き合ってきませんでした。

(↑自信の無い頃の私)

その後、私は妊娠出産をすることになり、その頃には仕事も独立したのですが、出産という大仕事を終えたことでますます痩せることができなくなり、さらに自信を失っていきました。


「もう私は誰の目にも触れず、お客様を支える"職人"として生きていく」
そうやって何とか自分に折り合いをつけようとしていました。

5.初めて自分のことを"いいじゃん!"と思えた時

その後2人目出産後すぐに代々木にサロンを構え独立します。有難いことに初月から大盛況。たくさんの方に来ていただきリピート率90パーセント以上のサロンとなり、クライアントさん達の支えにより私自身も成長し、サロンとともに発展してこれました。

1周年を間近に控えたある時、読者モデルだった友人からナイトプールのお誘いがありました。雑誌の撮影です。

み…水着で撮影なんて!

と一気に青ざめた私ですが、一方でふと考えました。ここにチャレンジしないと、私はこのままずっと変われない。これは神様がくれた私へのチャンスなんだ!掴まなきゃ!!

その決意から、1番即効性があり、しかし体に負担はなく綺麗になれるというファスティングという方法をとることを決意しました。

そこから私の失敗だらけのダイエット人生が幕を閉じるのです…!!

1週間後、体調を崩すこともなく肌がボロボロになることもなく、キレイに絞れた自分の身体を見て思いました。

"あれ、今の私結構いいじゃん"

これまでのダイエットのような、肌がカサカサで血管や骨が浮き出るような病的な痩せ方ではなく、自分の内側が若返ったような気がしたのです。

初めて自分に自信が持てた瞬間でした。私なんてどうせダメ。痩せてもないし、頑張ることすらできないせめて技術だけは磨いてお客様に貢献をし、私は日陰でおとなしくしていよう。そうやってずっとずっと自分に対して言い聞かせてきた私。

それが、今度は表舞台に立って、私なりの「美」を体現することで、お客様に貢献しよう。私の美しさは、説得力となり、安心感となり、クライアントさん達の喜びになるんだ!と思えるきっかけになったのです。

(初めて自分が良い感じ!と思えた頃)

6.ミセスコンテストへの挑戦


独立し1年。その頃、私は今後のことについてぼんやり考えていました。

自分のサロンがオープンすぐから予約3ヵ月待ちの人気店になったのは達成感もあり嬉しかったのですが、当時はビジネスをさらに発展させることに心がワクワクせず、私についてきてくださるお客様を大切にしながらさらに何か新しいことに挑戦したいなと言う気持ちがありました。

そうしたら、私は他に何をすればいいのだろう。
何がやりたい?全然分からないけど、このまま終わりたくない。

そんな悩みを話した時に友人に言われたのが、「今いる世界から飛び出してみたら?」だったのです。

その一言からミセスコンテストに出場しさらなる本物の女性の美を学び体現することで、私はクライアントさんや私に関わる多くの方に喜びを与えられるのではないか!と、まさに降りてきたのです。

決意をした私は、日本大会出場に向けて日々努力を続けました。ウォーキングのレッスンに励み、トレーニングで健康美を意識し、ボランティア活動でカンボジアへも行き、今までしたこともないスピーチの練習で自分と向き合い、本番前にもまたファスティングでベストな体型にしました。

大変と思うことももちろんありましたが「出るからにはグランプリを取る!」という目標達成意識もありましたし、何より、手をかけてあげただけ体や心が変わっていくのを感じ、自分のことがどんどん愛おしくなるのが楽しくて仕方なかったのです。

また、応援してくれる家族や友達、お客様が私には大勢いました。信じてくれているみんなのためにも成し遂げたいと強く思いました。

そして、ミセスインターナショナル日本大会本番。
眩しいくらいにスポットライトが当たるステージの上で、自分の名前が呼ばれた瞬間を今でも忘れません。

私は、自分史上最高に輝いた笑顔で自信を持ってグランプリを取ることができたのです。


7.自分を愛することが究極の美

コロナの影響で1年越しに、私は日本代表としてミセスインターナショナル世界大会に出場しました。

アメリカの各州と世界60ヵ国から参加している代表者たちが世界一を競うのです。そんな国籍や人種を問わないクイーンたちと一緒に過ごす中で気付いたことがあります。

それは、"自分に心からの自信を持っている女性は美しい"ということ。

代表者の中には、かなりふくよかな体形の女性もいました。美を競うコンテストにおいて、日本ではあまり考えられないことでしょう。でも、彼女達は確かに光輝いていました。なぜなら、体形を含め、今の自分を丸ごと愛しているという自信に満ち溢れていたからです。

ふくよかな人だけではありません、足の長い人、顔のちいさいひとですら、人種を超えるとコンプレックスになりうるのです。

私はその時にはっきり分かりました。美に基準なんてない。価値観なんて環境が決めたもの。

あるとすればただ1つ。"自分自身を心から愛して自信を持てているか。"だと。

それが分かった時、私はこれまでの人生全てのことがストンと腑に落ちました。

昔の私は自分のことが大嫌いでした。辛いことがあると過食に走ってしまい、痩せたいのに痩せられない。ムリをして何とか痩せても、体がボロボロになって辛い。そして結局またリバウンドする。

そんな、頑張れない自分を許せなかったのです。
バレエの夢も叶えられず、「自分は努力のできない人間だ」と苦しんでいました。でも、その「痩せたい」は一体誰の価値観だったんでしょうか?

私?いいえ。当時の私は、バレエの先生や世の中の価値観しか見ておらず、自分の身体や心の声を全く無視していました。だから、少しも満足できないし自信も持てなかったのです。

母も同じです。私を女手一つで育てあげることにだけ自分の時間を使い、楽しみを一切捨てて一心不乱に働き、大病を患って心まで病んでしまいました。

"自分を心から好きになるためにまず必要なのは、健康なのです。"


8.身体の声を聞くことは自分の心に寄り添うこと


それは、私のサロンに来てくださるお客様を見ていても思います。

せっかくやる気や目指す目標があるのに、風邪や体調不良を起こすと、それが簡単にポキっと折れてしまう方を何度見たか・・・。

健康な心は健康な体に宿ります。体と心は繫がっているのです。

健康を無視してまで痩せることが幸せになることだと思って自分を傷つけていた私が、正しいダイエットで体調を崩すことなく、健康な心身のままでキレイに絞れた自分を見たことで、私は「まだまだ私だっていける!」という自信を持つことができました。

そういった経験があるからこそ、私は、自分の事を心から愛せる真に美しい女性を輩出するお手伝いがしたいと思ったのです。

今の私は、痩せてるから幸せになれる。なんてことは全く思いません。健康的に、自分自身が1番自分を愛せている身体の状態、エネルギーが溢れる状態、本当の意味で体と心に優しくできている状態。それこそが、幸せに豊かに生きることに欠かせないことと信じています。

それを身をもって知った今の私にできることは、パーソナルトレーナーとして自分の身体を大事にし、内側を整えること。そして心身の健康を維持した上で女性を「究極の健康美」に導き人生を豊かに輝かせること。ミセスインターナショナルの経験から、これまで以上に仕事に使命感を持って取り組んでいます。

また、昔の自分がウソみたいに思うほど、今はやりたいことがたくさんあって毎日が充実しています。大好きなクライアントさんに囲まれ、子供や夫と過ごす時間も増え、お茶会やランチ会を開いてたくさんの仲間と交流したり、2022年の11月には長年のダンス経験を生かして、大好きな仲間とゼロから創る舞台公演をしてみようなんてことも考えています!

とにかく今私は毎日新しいことに挑戦しながら一日一日を大切にし、楽しく過ごしています。昔の自分から見たら、今の私の姿なんて考えられなかったでしょう。相当無茶していたので、生きててよかったね、と言ってあげたいです。

私はきっと、人生を通して"健康で美しく毎日やりたいことをしてを楽しく過ごすこと"を多くの人に提供するる事を使命として生まれてきたのでしょう。

あなたは自分で自分の身体のこと、ちゃんと考えてあげられてますか?今の状態がハッピーですか?本当は身体がどうなったら今よりもっとエネルギー溢れて心もポジティブになりますか?

これからもますます「究極の健康美」を追求していくと共に、輝く女性をどんどん増やしていきます。

ぜひ、応援して頂けると嬉しいです!


マイサ

「ヘタレでストイックに頑張れなくても美Bodyになれるグループ」

そしてこのストーリー公開を記念して、全ての私の知識や経験を元に健康的に無理なく美Bodyを手に入れられる、

「ヘタレでストイックに頑張れなくても美Bodyになれるグループ」

というFacebookグループを作りました💗
✓自分はこんなもんじゃないはず…!っていつも思ってる。
✓まだまだ綺麗になって自分を大好きになりたい。
✓忙しいを言い訳にしたくない。
✓私の普段の生活ルーティンを知りたい。
✓健康法、美容法を知りたい。
✓ズボラでも続けられるエクササイズを知りたい。
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