課題というものがイガグリだとしたら。
どうも。
記事を開いてくださりありがとうございます🤝
秋、どこへ行ったのでしょうか?
テレビで紅葉の特集や紹介していても、季節感を感じない不思議な気候です🍠
10月も残すところ1週間となりました。
今月は毎日投稿を掲げて、
自分の執筆ペースを考えると無謀と感じダイアリー型の小説を実行しましたが、この作品の終着点が決まりそれに向かってたら次の公開で最終回(予定)っていう‥!
31日まで粘ろうとしてたのにだいぶ早く収まってしまった🥺
書いてみたかった事がどのくらい伝えられているか皆無ですが、今回はこれはこれとして良しです。
中学の時の先生も言ってました。
「継続は力なり」!
ここからは貯めてた下書きと向き合いつつ、日々の些細な気づきを書いていくことに。
結果リアルに日記のような記事が増えるかもだけど、執筆スピードが上がりそうでそれはそれで収穫になりそうです。
収穫といえば!
私は今舞台の稽古真っ只中です。
実質1年ちょいぶりの舞台ですが、気持ち的には5年ぶりな感じがします。
今年の春から、自分のやりたいことを見つめ直すために新しい環境に足を運んでおりました。
その環境と出会いによって、ありがたいことに見つめ直すことを越えて、また新しい課題を発見している次第です。
課題がイガグリだとしたら
課題というものが物体化したときに
“イガグリ”のような形状だとしたら、
昔は「痛い痛い」言いながら、でもやらなきゃ!って、素手でガシガシ掴んでそのまま運んでるような、とにかく若さとガッツで乗り越えてました。
しかし血だらけになった手や腕に、さらにイガグリが刺さったらたまったもんじゃないです。
今も癖で「てぃやっ」って素手で掴みにいっちゃうことはありつつも、それを掴むトングの存在や入れておく籠なんてものを意識するようになりました。
またまだ籠の網目が荒くて入れたイガグリが落っこちちゃう、ってこともありますが、
ずっと痛みを繰り返すより、楽しくて効率の良い収穫作業の方がいいですよね。
収穫する喜びがなくなれば収穫自体を放棄したくなります。それは元も子もない。
こないだヒルナンデスで紹介されていた老舗のメガネ屋さん『飯尾眼鏡店』の社長さんも言ってました。
知識に心が入って知恵となり
技に心が入って技術となる
そこに“心”がないと、知恵も技術も得ることができないのですね。
あ、、
確か実際の毬栗はそっと持てば素手でもいけます、よね?|ω・)笑
素材サイトでこのサムネの画像見つけてたら、
栗ご飯が食べたくなりました🌰
今年はまだなのでそろそろ食べよ〜。
と、おもったところで今日は締めます🙋♀️
最後まで読んでくださりありがとうございました!