祖父が遺してくれたもの
母方の祖父が亡くなって数週間。
もし生きていれば、今日で90歳だったけれど。
訃報が届いた朝からずっと感じているのは、胸が引き裂かれるような強い悲しみではなく、底のない宇宙のような暗い穴にゆっくりゆっくり落ちていくような感覚。
日常生活を送っていても、なんだか頭の周りに薄い膜ができてしまったみたいに、自分から少し遠く感じられる現実の風景。
祖父の人生がとても幸せなものだったと知っているから、感じるのは辛い悲しみというより、祖父が私たちに残してくれたものの大きさや、与えてくれた影響への感謝の気持ち。
福岡の大学でドイツ語を教え、毎年ドイツの小さな街に生徒さんたちを引率し、街をただ見るだけではなく実際に住んでいる人々との交流の機会を作っていた祖父。
子供の頃、祖父が聞かせてくれるドイツのお話や、持ち帰ってくれるお菓子や小物を前に想像の中で膨らませていたドイツやヨーロッパの景色。
いつか私も行ってみたいと憧れた遠い世界。
日本に来るドイツ人留学生にも親しまれていた祖父。
夏休みに祖父母の家に遊びに行くと、ビールを手に持った背の高いドイツ人たちがたくさん集まっていて、私の全く分からない言葉で楽しそうに会話をしている祖父が、子供心にとても格好良く見えたことを思い出す。
定年後もドイツ語学習の本を複数出版し、独和辞典の改訂版を作り続けるくらい、ずっと変わらなかった仕事への情熱。
生涯を通してドイツ語学者という職業を全うした私の尊敬する祖父。
学者というと硬いイメージがあるけれど、祖父は少しも気取ったところはなく、日焼けした親しみやすい笑顔と、知的なジョークでいつもみんなを笑わせてくれた人。
真っ白なタンクトップで早朝の街を走り、帰ると大好きなグレープフルーツを専用のギザギザスプーンで食べていた人。
祖母を心から大切にしていて、孫の私に時々「今朝はおばあちゃんと手を繋いで浜辺を散歩しました」なんて可愛らしいメールを送ってきてくれた人。
祖父のことを思い出しながら書いていると、まだ涙が流れてきてしまうけど、祖父に私が1番伝えたいのは感謝の気持ち。
尊敬する祖父に見せても恥ずかしくない人生を今後も送りたいというのが、今の私の想いです。
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