文芸選評「春風」俳句(選者:池田澄子さん)
記念すべき第一回の採用だったので、記録に。
noteがときには日記がわりにもなるので、毎日更新という枷を自分にはめたのはちょっと正解だったかも、と思っている。ただ来月はバタバタな予定なので、途切れる可能性はありあり……そのときは何卒ご容赦ください。
2023/4/13放送の、文芸選評の俳句の回にて選んでいただきました。
春風の端にピエロを終へし人
選ばれたのはもちろん嬉しかったのですが、それ以上に、選者が池田澄子さんであるこの回だったのがもう……。
文芸選評のXでの投稿がスタートした時点で、「春風で池田澄子さんとか出すべきだったやん……わたしのあほう……」とひとりさめざめしていたのは秘密です。(いつも出詠したことを忘れる)
池田澄子さんの作品との出会いは高校生のころ、俳句甲子園をきっかけに俳句沼にずぶずぶと足を踏み入れたあのときです。
この句を初めて知ったときの衝撃は忘れられません。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの/池田澄子
ずっと頭と心に棲みついていて、どちらかというと短歌メインになったいまの脳にもときどきよみがえってくる。
下五の「生まれたの」が呼びかけなのか、呟きなのか、などと解釈をふくらませることができるのだけど、もう景の発想がたまらない……と、高校生ながらに仲間とはしゃいでいたのを思い出します。
俳人の方のなかでは佐藤文香さん、池田澄子さんの御二方がとても好きで、それぞれの句のなんともいえない抒情、むしろその「なんともいえなさ」に惹かれてしまう。ユニークな発想の句が良いなあと思いつつ、同じくらいの詩情も兼ね備えた作品をつくるのはとても難しい。
短歌もそうかもしれません。ちょっと面白いな、という着想の海はどこまでも広がっているのだけど、そこから形ある作品を、その韻律や表現の必然性とともに釣り上げるのは難儀な技だといつも思う。
長々と語ってしまいましたが、そういう難しさの壁を越えて、わたし自身にとって心に響いてくる句をいくつも詠まれている池田澄子さん。
放送の最後に発表されるイチオシとして採っていただけたのも信じられませんでしたが、とにかく嬉しかったです。本当にありがとうございました。
短歌を主につくっていくなかで、俳句脳にスイッチを切り替えるのがなかなかむずかしく、それでも四月から、ひとまず一日一句は詠もうともがいています。
通常運転で短歌も俳句も詠める人はほんとうにすごいと思う。頭、というか、詩の引き出しがわたしのなかでは整理しきれていなくて、まず短歌として、俳句として、の脳の土壌を切り替えるのがひと仕事です。
でも今回の採用がモチベーションにつながったのはいうまでもありません。これからも頑張っていきたいと思います!