見出し画像

運動は癖の繰り返し?

最近、布教活動のようにこの言葉を言っています。”Any kinds of exercises are just a repetition of what you already know." (どんな運動も全てはあなたがすでに知っていることの繰り返しである)

これは決して運動の価値を評価していないのではなく、それを知った上で行う必要があるから伝え歩いています。

運動は必要

ここで言う運動は、私が教えるヨガやピラティス、ダンス、ウォーキングや、その他スポーツ、体を動かすもの全てです。

人間、話す言葉も動く動きも一度学んだことのあることしかできません。外国語の勉強を思い出してください。英単語を試験のために覚えたところで実際にはすぐには使えませんよね。実際に使えるようになるためには、理解度を高め、練習を重ね、自分の言葉になっていきます。そして、間違ったように一度習得してしまった言葉を正すのも簡単ではありません。体の動きも同じです。ダンスのレッスンやヨガで正された姿勢はその場では直るかもしれませんが、着替えてその場を離れた瞬間に悲しいかな・・消えて【癖】に戻ります。なぜなら、それは試験のために覚えた英単語と同じく理解度が低いからです。

ただ、私の言うところの【癖】は必ずしも悪い癖だけを指しているわけではなく全ての自然にできる動き、を指します。

英語で例えるなら頑張らなくてもスラッと出てくる英単語のようなものです。私は以前アルバイトで英語も教えていたのですが、練習として知っている単語だけで(調べるの禁止)英作文をさせていました。それはすでに知っている英単語でも、まだまだ使いこなせていないため沢山回数使うことでもっともっと自分の物にしていく、ということが目的でした。

現代人は多くは確実に運動不足です。健康を保つために体を繰り返し、ある程度の強度の運動をする必要があります。いわゆるフィットネス、という分野です。これは職業やライフスタイルによりますが、ご存知の通り誰しもが定期的な運動が必要です。

運動が癖の繰り返しであることを知らないと・・

昔、ヨガを数年間教えていた生徒さんが遠くへ引っ越され、半年後連絡をもらったら、『ヨガはしていないが毎日犬の散歩で1万歩歩いて運動をしていたが、酷い五十肩になってしまった』とのこと。私はずっとみていた生徒さんだったのですぐにピンと来ました。その方は胸部を固める癖があります。そもそもヨガを始めたのも肩こりが原因だったはず。引っ越される前までは毎週一回のヨガで全身を動かし、癖に引っ張られないようにバランスを取っていたのが、ウォーキングという(指導者がいる場合は別ですが)癖の繰り返し以外の何者でもない運動をされていた・・。消費するカロリーとしての運動量は十分かもしれないが、結局五十肩のひどい痛みとして現れた。

歩くことは健康、というのが間違いだとは言いませんが*歩き方が機能的な方に限り、という注釈を入れたくもなります笑。

この方は一例に過ぎません。ある日を境に一切首が回らなくなった元フィットネスコーチなんかも知っています。痛みが引くまで何ヶ月もかかったり、最悪その種目を続けられなくなり、辞めたと言う話も山ほどあります。

どのように(how)体を動かしているのかに注目するのは難しい

ランニングで怪我をしたからランニングが危険なのではなく、問題なのはやり方、ですよね。でもその運動をやっている時はそこまで意識を向けられるでしょうか?タイムや距離が気になったり、得点や見た目が気になったり、チームスポーツなら自分以外の人、道具を使うならその道具にも気を使います。このように運動をしているとき気にするのは体だけではないので実際自分の体がどう動いているかを感じ、一番最適な方法を行うのはとても難しいのです。

どのように動いているかが明確に感じられない場合、全ては癖の繰り返しです。悪い癖ならそれを強化しかねません。

新たなパターン(癖)を身につけるには?

運動が癖の繰り返しだ、と言われてしまったら、ではどうやって新しいパターンを身につけられるの?と思いますよね。それがsomaticsという分野です。私の教えるフェルデンクライスメソッドもですが、他にもalexander techniqueやrolfingなどあります。

私もヨガやピラティスを教えますし、自分でも行いますが、それはあくまで運動としてです。本当の意味での向上は学問も同じく体においても、学ぶことでしか得られないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?