【お坊さんと問答】今の仕事をするまで気が付かなかったことはなんですか?

今の仕事をするまで気が付かなかったことはなんですか?

私はお坊さんになって十数年経っていますけれども、お坊さんになるまで気がつかなかった事は仏像の見方です。
お坊さんになるまでは仏像とは美術品としてしか見ていませんでした。
博物館や美術館でお寺、仏像の展覧会が催されていますが、これは観音様だなお地蔵さんだなと、ただ観音様、お地蔵さん、不動明王さんなど仏様の種類でしか判別していませんでした。
またすぐ脇に書いてある説明文「何々寺の何世紀に誰々さんが彫った仏像です」という説明だけを読んで仏像を見ていた気になっていました。
表面の素晴らしい堀りや塗りの技術など表面だけを見ていたのです。

それももちろん素晴らしいことではありますが、仏像とは仏を人形に象ると書いて仏像と書きます。
仏、宗派によって様々な受け止め方がありますが、禅宗特に臨済宗では「衆生本来仏なり」、人はみな仏であると申します。
その仏が像になってると仏像。
仏、私たちは本来清浄とした心を持っていると臨済宗では言います。であるからして私たちは皆仏である。
今言った本来清浄とした心、心と言うと意識や感情、思いのことを考えてしまうかもしれません。そうではなくて本質的な部分という意味の心です。
なぞかけでお坊さんとかけて新聞紙と解くその心は「けさきてきょうよむ」などと言いますが、「その心は」の時の心ですね。どちらにも通底して流れているそこにあるもの、本質的な所のことを心と言います。

私たちには本来清浄とした何か出たり入ったりしている、もともと備わっているから「衆生本来仏なり」、人はみな仏であるといいます。
本来清浄としたところを人形に象ると仏像です。
仏像を拝見する時は私たち皆に備わっている本来清浄としたところを見て取ることが大切なのであると、例えば観世音菩薩、観音様でしょうか。「観世音菩薩」とは、法華経普門品に世の中の人々の温情を感じていらっしゃる、それで観世音菩薩であると説明されています。
生活の音という言い方もありますが、今外で流れている車が走っている音、誰かが泣いている音、笑っている声、そのような音を感じて見守って下さっているのが観音様です。

私たちも観音様のように友人や会社の同僚、家族を見守りまた見守られていないでしょうか。
観音普門品にはまた観音様が状況や相手に応じて姿形言葉遣いを変えると書かれています。まさしくそれも私たち皆に備わっている本来清浄とした心ではないでしょうか。
馬頭観音や白衣観音、千手観音と観音様にも様々な姿形があります。仏像を拝見する時にはその仏像が表そうとしている私たち皆が備わっている本来清浄とした心を見据えることが大切なのかもしれません。

陽岳寺の本堂にも様々に仏像がお祀りされています。なかなかこれだけの仏像がお祀りされているお寺さんはないのではないでしょうか。
御本尊は十一面観世音菩薩、その両脇にはお地蔵さん地蔵菩薩と、七福神の一人である毘沙門天、禅宗のお寺なので達磨大師と大源朱里菩薩もお祀りされています。また阿弥陀如来様も。

これが仏像の見方なのではないかと思うのですが、皆さんも美術館や博物館、インターネットで仏像で検索するとき、本を見るときなど、仏像を見るときは私たち皆に備わっている本来清浄とした本質としたところがどこなのだろうかと思いながら見ていただければと思います。

今の仕事をするまで気がつかなかったことは何ですか?


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南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧 帰依仏無上尊 帰依法離欲尊 帰依僧和合尊 帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟 如来至真等正覚 是我大師我今帰依 従今以往称仏為師 更不帰依邪魔外道 慈愍故 慈愍故 大慈愍故