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差別は悪いことではない

日本人はとても平等思考が強いです。少数が贔屓をされるのも、冷遇されるのもこの国の道徳や倫理では良しと教えられません。

こうして日本人は差別を認めません。


ネットとかニュースとかでも、〇〇差別とかいう単語をよく見ますよね。

最近ならアメリカの黒人差別とかを始め、人種差別って昔から強く根付いていますよね。

他にも収入・学歴・産まれなどなどでこの日本社会にも様々な差別が存在していますよね。


そして多くの人はそんな差別を少なくとも良いとは思っていないのではないでしょうか。


でも僕はこう思うんですよね、差別って別に悪いことじゃないよねって。



心理学歴10年、まひろです。

僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。

要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。



歴史を振り返れば人間は幾度となく、平等で自由であることを求めて戦争・革命を起こし多くの血を流してきました。

なぜそんなことが起きたのかというと、この世界は弱者がほとんどだからです。


ここでは生き残る能力が長けている人間強者と、生きる能力が低い人間弱者と定義しています。

自然界を見ればわかりますが、サバンナでライオンがシマウマを追いかける映像を見たことがありますよね。


あの構図はこの世界の弱者と強者のバランスをよく表しています。

常にシマウマがライオンに狩られる時は大群のシマウマが少数のライオンに追いかけられていますよね。

ライオンが1匹だけということはありませんが、間違ってもシマウマの頭数をライオンの頭数が越している狩り映像なんて見たことがないですよね。

シマウマ100頭対ライオン200頭なんて軽くホラー映像ですから。


せいぜいシマウマ100に対しては多くてもライオンは5ぐらいまでです。


これが強者と弱者の比率です。少数の強者が多数の弱者を支配する、この世界のルールです。人間は少し特殊ですが。


こんな構図になってくると自然と弱者の心理はどうなると思いますか?

自分達が確実に生き残られる世界にするにはどうすれば良いのか、と本能的に考えるようになっていくんですよね。

それがシマウマなら集団に群れて数頭の犠牲で大多数が生き残ること。

それが人間なら私達は平等であるべきだ、だって同じ人間なんだからと主張すること。


それを見抜いたある強者は弱者達に変わってその考えを代弁してあげることにしました。大多数の弱者を味方につけてもっと大きな強者になるために。

それが僕達が中学生や高校生で勉強してきた革命や戦争や政治の歴史の本質です。

だから平等思考は弱者の思考です。他意はありません、ただ事実を述べているだけなので。


この日本も民主主義で国民がこの国の主人公だ!と間違えやすいですが、この国の本質は資本主義です。

一部のお金を多く持っている人がこの国のありとあらゆる実権を握っています。


だから平等や自由なんて存在しない、そう思う方も多いと思います。

しかし僕はそうは思いません。



平等や自由を求めている人がこの国では多いですが、僕達は生まれた時から元々皆自由です。

例え奴隷に生まれたって、何かをする選択権は常に自分にあるし、王族に生まれたってそれは同じことです。どこに生まれてどこうやって育ったかは違えど、僕達には行動を選択する自由があります。

例えば日本では法律と言う名のルールに則って人々は生きていますが、言ってしまえばそれを守るか守らないかは自由であって、別に強制的に法律を守らないといけないことはありませんよね。


だから僕達は生まれながらに平等で自由な生き物なはずなんですよ。


でも生きていく間に色んな世界を見て、社会に飲み込まれて、現実を知って平等じゃない自由はないと決めつけてしまっているのは、実は自分自身なんですよね。


ここで僕が何を言いたいのかと言うと、身分や生まれ故郷がある様に【人間にはそれぞれの生きている世界がある】ということです。

例えばテレビも電話もない発展途上国の人々は、こんなにビルが建っていて文明が発達している世界のことなんか一切知らないわけです。ですがそれがその人達にとって不幸なことなのかと言うと、そんなことはないですよね。

ビルが建っている文明はあくまで僕達日本人の社会であってその人達にとってはそんな世界を別に望んでいるわけではないですから。


今の例えは極端でしたが、これは日本国内でも言えることです。どの家に生まれて、どんな風に育ったかは人によって違います。だから見えている世界も住んでいる世界も一人一人違って当然。

人はその違いを差別と呼びます。

これって当たり前のことですよね。


ですが多くの人は当たり前のことを悪いことだと言います。

例えるなら黒人差別に口を出すのは

「お前今息しただろ!」

と言っている様なものです。よほど口の臭い人でなければこんなこと言われませんよね(笑)


そんなことを言い出したら、ペット文化はどうなのでしょうか。家畜文化はどうなのでしょうか。人間同士でもパワハラ、モラハラ、セクハラなんて言葉をよく聞きますが、こんなの歴史を振り返ってもいつの時代でもあることなんですよね。だから結局人間は差別をしないと生きていけないです。

差別をするからものの価値を決めることができるし、魅力がわかるのです。


だから僕は差別は一切悪いことだと思っていません。

豚や牛や鳥がかわいそうだ!生き物を殺すとかひどいなんて言う意見が通って肉が食べられなくなると生きる気力をなくしますから。


ただ良くないのは、その違いを侮辱すること

黒人差別にしろ、問題の本質は差別ではなくその価値観や世界観の違いを侮辱することにある。根拠なく自分より劣っていて不完全な存在だと決めつけること。

そんな奴らは一回メイウェザーと戦って勝てると思っているのか聞いてみれば良いですが。

 と言うのがまひろ(筆者)の考えです。


もし、違う意見や感想がある方は是非僕にその考えを聞かせていただきたいです。反論もウェルカムなので自分の意見がある方は是非送ってきてくださると嬉しいです。



本日の雑談「まひろの三大欲求が変なんです」


さて、と言うことで本日もまひろのくだらねえ雑談をしていこうと思うのですが、人間には性欲・食欲・睡眠欲の三大欲求がありますよね。

でもね、最近認めたんですけど僕ってこの三大欲求の内の性欲が殆どないんですよね。全くではないのですがね。

なんか昔から男臭い生き方に憧れていて、今ままでなんか無理して浮気とかちゃらちゃらしたりしていたのですが、もう最近はええかなみたいな。なんか女の子にあんまり興味がないって男として廃る気がして毛嫌いしていたのですが、最近はもう諦めてます。

じゃあ性欲の代わりに何がまひろの三大欲求なのかと言うと、知識欲です


僕は昔からなのですが女の人と遊ぶよりも、新しい体験をしたり・新しい価値観を考えたりする方が好きなんですよね。とりあえず考える事がめっちゃ好きなんですよね。だからこの知識欲が三大欲求の中でも一番強くて、これが禁止されるぐらいなら死ぬ方がましぐらい。

だから多分僕は生物として欠陥品だと思うのですが(笑)、でもこの欲求があったからこそIQが140なんだと思うし、まあビジネスをやる上では良いことしかないと思っているので、僕的にはもうなんとも思っていません。

そして今となってはこの性格が自分の好奇心や学習意欲の元となっているので、自分的にはとてもそんな自分に満足しています。


まあ、性欲も少しはあるからお茶目な時もありますけどね。



それでは、あなたの人生がより豊かになる様に僕は心の底から応援しています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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まひろ
もらったら社会貢献のためにユニセフに募金します。 ※こいつは嘘をついています。募金せずに帰り道でコンビニに寄ってたばこ買うに違いありません。

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