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テレビの仕事

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本業(副業はしてないけど)のテレビ制作に関する記事です。
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『情熱大陸』とにかく明るい安村編 密着後記

『情熱大陸』とにかく明るい安村編 密着後記

先日、とにかく明るい安村さんの『情熱大陸』が放送されました。今回はその密着の裏側について書こうと思います。

取材が始まったのは4月中旬。ジョージアでのゴットタレントに挑むという安村さんの準備に伺いました。

そこで行われていたのはジョージア語のレッスン。安村さんは必ずネタを現地の言葉で披露します。

英語でも通じるはずですが「外国人のタレントが日本でネタやるとして、英語でやるよりカタコトでも日本

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。(最終回)

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。(最終回)

<つづきです>

2011年10月、2度のリニューアルを経て『ソガのプワジ』はスタートしました。番組タイトルの発案者はGAG宮戸くんのお母さんです。

『やかせて!ソーセージ』の時期に行ったライブで「お母さん大喜利」という母親の答えを息子が出す企画があり、それ面白かったので乗っかることにしたのです。一方で度重なるリニューアルに疲れてきていて、肩の力を抜きたいという思いもありました。

『ソガのプワ

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。③

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。③

<つづきです>

2012年4月に始まった『真夜中パンチィ』はわずか1か月半でリニューアルすることになりました。

新しいタイトルは『やかせて!ソーセージ』。日々のニュースにおせっかいを焼いていこう…というコンセプトでしたが、これがさらに過酷な日々を生むことになります。

毎日昼12時になんばの吉本本社にスタッフと出演者が集まってネタ決め。そこからソーセージとプリマ旦那が毎日ロケに行き、撮って出し

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『情熱大陸』博多華丸・大吉編 密着後記

『情熱大陸』博多華丸・大吉編 密着後記

先日放送された『情熱大陸』の博多華丸・大吉さんの回を担当しました。

おかげさまで高視聴率を記録、TVerの再生回数もかなり伸びているようです。なにかしらで触れていただいた方、ありがとうございます。

せっかくなので、今回は密着することになった経緯とかなんとかを綴ってみようと思います。

昨年の秋に『推しといつまでも』が終了し、僕がつくことになったのが『情熱大陸』でした。毎週担当するということでは

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。②

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。②

<つづきです>

2011年4月から始まった『真夜中パンチィ』のコンセプトは「青少年のため生バラエティ」でした。

このコンセプトになったのは理由があります。

僕が演出を担当し、2011年2月に放送した特番『15だった夜』が好評だったからです。「今だから言える15歳の時のアホな話」をテーマにしたバラエティで、そのコンセプトを若い出演者たちの番組に引き継ぎました。

『真夜中パンチィ』は45分の生

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むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。

むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。

<これは2011年春に始まった若手芸人5組による関西ローカルの深夜番組が、たった1年半で終了を迎えるまでの話です>

番組が始まる半年前、2010年の夏のこと。当時の上司から「深夜の5時間生放送をやれ!山内以下の若手制作マンは全員参加!」という指令が出ました。僕は30歳になろうとしていました。

拙いながらも僕は全力を尽くし、さらに後輩たちの懸命の頑張りもあり、その番組の評判は悪くありませんでした

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新入社員とキンコンカン健ちゃん

新入社員とキンコンカン健ちゃん

4月。まだスーツを着慣れていない若者たちが街にあふれています。先輩と行動せず、研修中の同世代と出社もランチも共にしている時期です。

先日、新入社員の研修を人事から頼まれたので、制作というものについて少し話す機会がありました。そして都合のあったメンバーとそのまま晩御飯へ。

テレビ業界が上り調子とは言えないなかでこの会社を選んだ新入社員たちは、自分たちの時よりずいぶんしっかりしてるように見えました

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ドラえもんたちに囲まれて(『高校先生クイズ選手権』放送後記)

ドラえもんたちに囲まれて(『高校先生クイズ選手権』放送後記)

ディレクターというのは、潰しがきかない仕事だと思います。手に職がないのです。

もし今の会社を辞めて全然違う業界に転職活動をしたとして「ロケ台本が書けます」「前説できます」と言っても、誰が「それはいいね!」と言ってくれるでしょうか。

ただただ「この番組が進む方向はこっちです!」と旗を振るの役、それがディレクターだと思っています。もちろん今の時代、それにとらわれない人もいますが。

さて、先日『全

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この1年のこと 2022-2023

この1年のこと 2022-2023

8月に43歳になりました。42歳の1年間にあったことをただただ綴る、1年に1度の記録です。

2022年の夏は、10月からリスタートする『月曜の蛙、大海を知る。』の会議を進めながら、後輩が企画立案した特番『ツッコミ観光協会』のプロデューサーとして秩父ロケへ。秩父の皆さんに温かさに触れつつ、笑いの絶えない番組になりました。

9月はプロデューサーとして呪術廻戦特番に携わりました。ケンコバさん、ハライ

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『推しといつまでも』最終回を終えて

『推しといつまでも』最終回を終えて

「テレビ番組は、誰かが傷つかないと作れないと思ってます」

かつて後輩に言われた一言です。そんなわけない。ずっとそれを証明したいと思っていました。

4月から始まった番組『推しといつまでも』の放送が終わりました。3月のパイロット版を含めると放送回数は20回。

一緒にやっていたスタッフが「なんか、全20回の特番みたいでしたね…」と漏らしたのに妙に納得してしまいました。

今回は色々あったこの半年間

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『推しといつまでも』でB'z特集を担当した話

『推しといつまでも』でB'z特集を担当した話

『推しといつまでも』2時間スペシャルが先日放送になり、前半1時間は『B’zの名曲&神ライブランキング』でした。ご覧いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

中学生のころからB’zを推し続けて(当時は“推す”という言葉はありませんでしたが)、自分が総合演出を務める番組でB’zの特集ができるなんて…と放送が終わってからしばらく経った今でも感慨深く、全然感慨浅くなりません。

先日のnoteに

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新番組が始まりました(12年ぶりに)

新番組が始まりました(12年ぶりに)

2023年4月17日に新番組『推しといつまでも』が始まりました。「長年心に秘めた推しへの感謝を伝える場を提供する」というコンセプトの番組です。

今回は番組スタートに至るまでの個人的な経緯を、言える範囲で書いてみようと思います。

僕は総合演出という、スポーツでいうキャプテン的な立場で番組制作に携わっています。現場監督みたいなもんですかと聞かれたらそうなんですが、ここで「監督」という言葉が入ってく

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テレビとサプライズとクレームと。

テレビとサプライズとクレームと。

テレビ局には視聴者の方からの意見を受け付ける部署があり、MBSではそれを視聴者センターと呼んでいます。

届く意見は様々で、番組の感想、激励、質問、指摘、疑問、苦言など多岐にわたります。放送した内容に誤りがあった場合、いただいた指摘をもとに訂正放送をすることもあります。

もう14年前の話ですが、MBSが行った『オーサカキング』という夏の一大イベントの演出を任された僕は、ロザンさんが出演する火曜日

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「ご飯行きましょうよ」が嬉しくて

「ご飯行きましょうよ」が嬉しくて

少しずつですが、友だちや同僚とご飯に行けるような世の中になってきました。自分から誘うときもあれば、誘ってもらうこともあります。

「ご飯行きましょうよ」

よく聞く言葉ですが、かつての僕には無縁の言葉でした。30歳過ぎまで、職場の同僚と食事に行くことはほとんどありませんでした。大きな理由のひとつが、僕がとんだ勘違い野郎だったからです。

20代後半から”総合演出”という肩書きを任せてもらえた僕は、

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