山内健太郎

東京でテレビ番組を作っているディレクターです。B'zとお笑いとジンジャーエールが大好きです。

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    本業(副業はしてないけど)のテレビ制作に関する記事です。

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    B'zにまつわる愛やざれごとの記録です。

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祖父の葬儀に来た坊主がニセ坊主だった話(戒名検証編の追記あり)

先日、2人の伯父(母親の兄と弟)と3人で食事する機会がありました。 2人とも60歳を超え、話題は自然と『墓じまい』に。するとその流れで20年ほど前に亡くなった祖父の話になりました。 兄が「いやー、親父の時は大変だったね。坊さんがニセ者ってわかった時には本当にびっくりしたもんね」とポツリ。 え?なにそれ?ニセ者?全く話についていけません。 1人でめちゃくちゃ動揺していると「あれ?知らない?」と驚いている2人の伯父。 話をまとめるとこうでした。 ・祖父の葬儀の時に来て

    • この1年のこと 2023-2024

      8月に44歳になりました。ここ数年書いている、何のオチもないただの個人的な記録です。もう10月になってしまいましたが。 43歳の誕生日は韓国ロケの日に迎え、スタッフから特製のB'zケーキでお祝いしてもらうというロケットスタートを切りました。 9月頭、『推しといつまでも』という番組が終了しました。その時の気持ちはこのnoteに書いています。 普通は番組が終わると、最終回の翌日には次の担当番組に移って仕事をするのですが、これまでに感じたことのない悔しさと悲しさと申し訳なさが

      • 直木賞贈呈式にちりめん男が紛れた話

        一穂ミチさんから直木賞贈呈式への招待をいただき、上司に「こんなことは二度とないですよ!直木賞ですよ!これは出張ですよね!」と圧をかけ、返事もろくに聞かずに「出席」のお返事をしたのが7月末(もちろん上司は快諾してくれました)。 ※ちなみになぜ贈呈式に招待していただく流れになったのかはこちらで それから約1か月が経ち、その日がやってきました。 スーツを着用し、シャツは新品のものをおろしました。去年、ある方から昇進祝いにオーダーメイドシャツの仕立て券をいただき、百貨店で採寸し

        • 「だからなんだ」日和(一穂ミチさん箸『砂嵐に星屑』解説の解説)

          文章を書くのが好きです。最初にブログを書くようになったのは、大学で留年して時間をもてあました時でした。 その時に書いたものはもう残ってないけど、ひとくだりだけ覚えてるところがあります。 「インド人の留学生のバラさんが『ダースで』って言うから、何をまとめて買おうとしてんのかと思ったら『Thursday』のインドなまりやった」 極めてたわいもない話です。ただ「だからなんだ」ということを書くことが楽しかったんです。まぁそもそも人生なんて他人からしたら「だからなんだ」みたいな出

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          『情熱大陸』とにかく明るい安村編 密着後記

          先日、とにかく明るい安村さんの『情熱大陸』が放送されました。今回はその密着の裏側について書こうと思います。 取材が始まったのは4月中旬。ジョージアでのゴットタレントに挑むという安村さんの準備に伺いました。 そこで行われていたのはジョージア語のレッスン。安村さんは必ずネタを現地の言葉で披露します。 英語でも通じるはずですが「外国人のタレントが日本でネタやるとして、英語でやるよりカタコトでも日本語でやってくれた方が盛り上がるじゃないですか」とこともなげに言う安村さん(その後

          『情熱大陸』とにかく明るい安村編 密着後記

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。(最終回)

          <つづきです> 2011年10月、2度のリニューアルを経て『ソガのプワジ』はスタートしました。番組タイトルの発案者はGAG宮戸くんのお母さんです。 『やかせて!ソーセージ』の時期に行ったライブで「お母さん大喜利」という母親の答えを息子が出す企画があり、それ面白かったので乗っかることにしたのです。一方で度重なるリニューアルに疲れてきていて、肩の力を抜きたいという思いもありました。 『ソガのプワジ』という謎の人名タイトルは、スタッフで即決でした。出演者5組の頭文字を並び替え

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。(最終回)

          稲葉さんのライブハウス公演でお腹を壊した話

          2024年6月11日。Zepp Hanedaで6日間行われる稲葉さんのソロライブ3日目です。 ライブ当日、僕が絶対にやらなくてはいけないのは「ストッパを飲むこと」でした。あのピーピーを止めるやつです。 7年前、INABA/SALAS(稲葉さんとスティービーサラスのプロジェクト)のライブハウス公演が当選した僕の元に届いたチケットには「管理番号30」と書かれていました。「これは最前列かも」と思った時から緊張し出し、当日は全開でお腹を壊しました。 最前列を当てながら途中でトイ

          稲葉さんのライブハウス公演でお腹を壊した話

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。③

          <つづきです> 2012年4月に始まった『真夜中パンチィ』はわずか1か月半でリニューアルすることになりました。 新しいタイトルは『やかせて!ソーセージ』。日々のニュースにおせっかいを焼いていこう…というコンセプトでしたが、これがさらに過酷な日々を生むことになります。 毎日昼12時になんばの吉本本社にスタッフと出演者が集まってネタ決め。そこからソーセージとプリマ旦那が毎日ロケに行き、撮って出しで放送に間に合うように超バタバタで編集。 深夜1時からの生放送が終わったら出演

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。③

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。②

          <つづきです> 2011年4月から始まった『真夜中パンチィ』のコンセプトは「青少年のため生バラエティ」でした。 このコンセプトになったのは理由があります。 僕が演出を担当し、2011年2月に放送した特番『15だった夜』が好評だったからです。「今だから言える15歳の時のアホな話」をテーマにしたバラエティで、そのコンセプトを若い出演者たちの番組に引き継ぎました。 『真夜中パンチィ』は45分の生放送。ソーセージの3人に女性アシスタントを加えた4人で番組はスタートしました。

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。②

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。

          <これは2011年春に始まった若手芸人5組による関西ローカルの深夜番組が、たった1年半で終了を迎えるまでの話です> 番組が始まる半年前、2010年の夏のこと。当時の上司から「深夜の5時間生放送をやれ!山内以下の若手制作マンは全員参加!」という指令が出ました。僕は30歳になろうとしていました。 拙いながらも僕は全力を尽くし、さらに後輩たちの懸命の頑張りもあり、その番組の評判は悪くありませんでした。すると番組を観た上司が新たな指令を出しました。 「若い奴らが汗かくのってええ

          むかしむかしあるところに『ソガのプワジ』という番組がありました。

          1998年7月10日のミュージックステーション

          1990年代、それはそれはCDが売れて仕方なかった時代。僕はCD売り上げランキングにくぎ付けでした。正確には、B'zのCDが発売した週のランキングにくぎ付けでした。 僕がB’zファンになった1993年にはオリコン1位が当たり前だったので、気になるのはその売上げ枚数。 前作より増えただの減っただの、今のようにインターネットが発達していなかった時代だったので、毎週発売されていたオリコン誌の週間ランキングのページをドキドキしながらめくっていました(申し訳ないですがお金がないので

          1998年7月10日のミュージックステーション

          ふと気になってこれまでのPV数を見たら、40万PV超えてました。わざわざフォローまでして見てくださってる皆さん、ありがとうございます。できれば引き続きよろしくお願いします。

          ふと気になってこれまでのPV数を見たら、40万PV超えてました。わざわざフォローまでして見てくださってる皆さん、ありがとうございます。できれば引き続きよろしくお願いします。

          新入社員とキンコンカン健ちゃん

          4月。まだスーツを着慣れていない若者たちが街にあふれています。先輩と行動せず、研修中の同世代と出社もランチも共にしている時期です。 先日、新入社員の研修を人事から頼まれたので、制作というものについて少し話す機会がありました。そして都合のあったメンバーとそのまま晩御飯へ。 テレビ業界が上り調子とは言えないなかでこの会社を選んだ新入社員たちは、自分たちの時よりずいぶんしっかりしてるように見えました。熱い気持ちはあるけど冷静で、自分たちがよりしっかりしなければ…と気が引き締まっ

          新入社員とキンコンカン健ちゃん

          ドラえもんたちに囲まれて(『高校先生クイズ選手権』放送後記)

          ディレクターというのは、潰しがきかない仕事だと思います。手に職がないのです。 もし今の会社を辞めて全然違う業界に転職活動をしたとして「ロケ台本が書けます」「前説できます」と言っても、誰が「それはいいね!」と言ってくれるでしょうか。 ただただ「この番組が進む方向はこっちです!」と旗を振るの役、それがディレクターだと思っています。もちろん今の時代、それにとらわれない人もいますが。 さて、先日『全日本高校先生クイズ選手権2024』が放送されました。 僕は総合演出だったので、

          ドラえもんたちに囲まれて(『高校先生クイズ選手権』放送後記)

          『情熱大陸』博多華丸・大吉編 密着後記

          先日放送された『情熱大陸』の博多華丸・大吉さんの回を担当しました。 おかげさまで高視聴率を記録、TVerの再生回数もかなり伸びているようです。なにかしらで触れていただいた方、ありがとうございます。 せっかくなので、今回は密着することになった経緯とかなんとかを綴ってみようと思います。 昨年の秋に『推しといつまでも』が終了し、僕がつくことになったのが『情熱大陸』でした。毎週担当するということではなく、ディレクターとして密着取材を行うというポジションです。 早速「密着したい

          『情熱大陸』博多華丸・大吉編 密着後記

          40代男とハムスターの2年7か月

          飼っていたハムスターが亡くなりました。2年から2年半が寿命と言われるなか、最後まで元気に過ごし2年7か月(人間だと80歳くらい?)で、天国に旅立ちました。 ひらすら寝ているので「ぐーすけ」と名付けたハムスター。飼い始めたきっかけはこちら。 飼い始めは「手のひらで眠るハムスター」の動画に憧れて何度も試みましたが、そもそも手でつかまれること自体を嫌がるため、早々に諦めました。 初期の頃は体を登らせたりしましたが、「人間に構われること自体がストレス」というのを見て、それもやめ

          40代男とハムスターの2年7か月