屈んで絞り出した言葉(母影/尾崎世界観)
芥川賞にノミネートされた、クリープハイプのギターボーカル・尾崎世界観による小説。前作『祐介』は帯に「半自叙伝」というフレーズが使われていて(本人はこれにものすごく抵抗したそうだが)、ほとんど実話なのかな?と思わせるようなバンドのボーカルが主人公だった。実際、クリープハイプのラジオやインタビューで聞いたことのあるエピソードもいくつか混ざっていた。
しかし今作の主人公は、母子家庭の女の子。外見や年齢に関する記載はないが、おそらく小学校低学年くらいで、母親はいわゆるグレーなマッサージ屋に勤めている。少女は学校帰りにマッサージ屋に立ち寄っては空いてるベッドに座り、カーテンに映る母の影を見ながら、母と客の会話を聞く。
「言っていい?」って言ったのに、何も言わないのは何でだろう?
「行く」って言ったのに、まだ帰ろうとしないのは何でだろう?
何か気持ち悪いことが行われているという漠然とした気配を感じ取りながら、それが何なのかを知らない少女の目線で、少女の言葉で綴られた物語だ。
私は長年クリープハイプのファンだが、自身の半径5mで起こりうる出来事を自身の目線で綴った『祐介』と180度違う今作に、作家・尾崎世界観の本気を感じた。例えば、少女が母親と駅に向かう道を歩きながら、駐輪場を通りかかるシーンにこんな描写がある。
それはまるで、自転車のお墓だった。もう走れなそうな自転車のカゴにだけジュースやコーヒーの空き缶が入ってて、それがおそなえ物に見えた。
この作品は、腰が痛くなるくらい屈んで目線を落とし、絞り出した表現で満ちている。少女が知らない言葉は使われておらず、小学校で習わない漢字はきっちり開いてある。(それゆえに、読書に慣れている人であればあるほど読みにくいと感じるかも知れない。)
もともと生々しい空気感の表現を得意とする著者だが、今作は少女の目線に完璧に寄り添うことでそれを実現していた。
『母影』が芥川賞にノミネートされた際、「バンドの人が書いたっていう話題作りでしょう」と言う人が少なからずいたが、尾崎世界観ほどきちんと言葉に向き合っているボーカルは少ない。
彼の日記をまとめた『苦汁100%』という本がある。ここではバンドが売れない日々の鬱屈が多分に吐き出されているのだが、そんな私的な感情100%の文章のなかにさえ、ドキッとする表現が何度も登場する。ファンクラブ会員向けに書かれた誤字だらけのブログにさえも、そのまま歌詞にできそうな表現が時折混ざる。
読み手を意識せずとも自然に言葉選びをしてしまう彼は、きっと本物だと思う。
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