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使いにくい王者(笑い神 M-1、その純情と狂気/中村計)

笑い飯の二人が表紙にも裏表紙にも使われた、ノンフィクションライターによるM-1ヒストリー。
今やお笑いファンの間に限らず高い知名度と話題性を誇るM-1だが、現在の地位が築かれるまでにはさまざまな壁があった。

2001年の第1回大会は、視聴率的には「失敗」だった。
しかし、優勝した中川家を正月のNGKに出した際「一千万の漫才や!」とお客さんが殺到したこと、翌年のNSCの入学者が激増したこと(この入学金と授業料だけで数億円の儲けになる)、そしてABCのスタッフの情熱により、大会は継続されることになる。

この本は途中から、スタッフ側と芸人側の双方の目線から綴られていく。表紙を飾った笑い飯のほか、ますだおかだやハリガネロック、フットボールアワー、千鳥、チュートリアル、スリムクラブと、初期M-1に華を添えた芸人たちが、章ごとに分かれて描かれている。

なかでも印象的だったのは、同時期に大阪の劇場のトップだった笑い飯と千鳥の対比だ。私は以前、鬼越トマホークが笑い飯を「お前らギリ売れてねぇからな」と罵倒するのを見て笑ってしまったのだけど、かつては同じ場所に立っていた笑い飯と千鳥の間には、現在、明らかに大きな差が開いている。

笑い飯は規格外すぎて、無難なテレビ番組にはハマらない。カメラを向けてもちゃんとしたことを言ってくれないから、企画書を書いても意味がない。9年連続でM-1に出場して優勝した彼らには鮮度も驚きもなく、優勝後すぐに3ヶ月分のスケジュールが埋まるという定説さえ当てはまらなかった。業界ではずっと、「笑い飯は使いにくい」と言われてきたのである。

おまけに、彼らは仲が悪い。
コントと違い、文字通り相方と向き合わなければならない漫才では、不仲が芸に影響を及ぼす。
千鳥の大悟は「本当はお客さんのウケを気にしなきゃいけないんだろうけど、どうしてもノブの方を気にしてしまう。ノブが笑っていれば安心する」というようなことを言っていて、漫才師としては、こういう人たちの方が成功しやすい。

それでも著者が、笑い飯の二人に「解散を考えたことはあるか?」と聞くと、意外にも「本気で考えたことはない」と双方が答えた。理由は「お金になるから」。
二人がそれぞれ相方のいないところで相方の悪口を言い、周りがそれに便乗すると、怒る。宮崎駿と高畑勲のような関係性なのだという。

私は個人的に笑い飯の漫才が特別好きではないが、M-1の放送中、いつカメラを向けられてもちょけていた二人の裏にあるドラマにはグッとくるものがあった。
あと、琉球大学の同期だったスリムクラブの章。
「結成前に、あの本番直前に、そんな会話があったの!?」みたいな驚きが詰まっていて、とても良かった。

最近のM-1は、暖かいと思う。
もちろん生放送ならではの緊張感はあるが、初期の頃のヒリヒリした感じがない。
この本を読むと、発起人の島田紳助が審査員である以前にプロデューサーであったことがよくわかるのだけど、あの空気も彼の手腕によるものだったのだなと気づいた。

お涙頂戴の煽りVだけは好きになれないが、今年もどんなドラマを見せてくれるのか、今から楽しみだ。(頑張れ、令和ロマン)

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