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04.11

「4月になってから、noteに毎日投稿してみよう。」

そう思った3月の終わりから、もうすでに11日が終わろうとしている。
いや、すでにもう10日が終わってしまった。

10日間を時間に換算すると、時間単位で240時間。
分単位で換算すると、14,400分。
秒単位で換算すると、864,000秒。

うわっ。
たった10日間だけど、されど10日間とはよくいったもので。
換算を突き詰めたその果てに見た秒単位の世界に、僕はとてつもない時間を一瞬で過ごしてしまったんだという驚きをおぼえた。

そういえば、通勤途中にぼんやり眺めていた桜も満開を少し通り越して、すでに散りはじめて葉桜になりかけていたような気がする。

そうか、桜も864,000秒も咲き続けていたら休みたくなるよな。
ぜひ桜を散らしたあとは、心置きなくゆっくりしてくれ。


話をもとに戻そうとかそれっぽいことを書いてみるけれど、
今回の話そのものに本筋がないから、もとに戻したとしても迷子になってしまうのがオチである。
だこら、せっかくなので本筋を一旦ここで作ってみたい。

いや、待てよ。
そもそも本筋ってなんだろうか。
最近、改めて日本語というものの”むずかしさ”を、新聞紙の漢字のクロスワードを解こうとしたときに全く解けなくて、人知れずひっそりこの世界の片隅で挫折したことから、痛感してしまっていた。
この"日本語むずかしいね問題"を友人に聞いてみても、
確かに漢字検定、くそ難しいよね。
だった。
誰も漢字検定のことなんか、聞いていない。


だからだよ。
本筋」という意味の本質を知らずに勝手に使ってしまうのは、「本筋」に失礼だと思ったんだ。
とりあえず、Google先生に聞いてみることにした。

ほんすじ:それをするのに正当な、中心的なすじみち

なるほどね。

”それをするのに正当な、中心的なすじみちこそ”が本筋であって、
本筋にこそ、”それをするのに正当な、中心的なすじみちである必要がある”ということらしい。

これを踏まえてこの話の本筋を作ってみようと少し考えてみたけれど、
浮かんだテーマのそれぞれに正当かつ、中心的なすじみちとしての役割を任せることができなかった。
浮かんだ一例
・自転車がパンクしたこと
・最近はすっかり電子マネー生活
・最近、髪を切ったこと

なので、今回の話の本筋は「」である。
この「無」にも深い意味がある。
何事においてもはじまりは「無」からはじまるのだ。是則この世の理、つまり「本筋」に違いない。


最近は通勤時間の合間に、noteをスマホでポチポチすることが多かった。
というのも、隙間時間を活用して文章に触れるようにしていたかったからだ。

でも、隙間時間の活用がぼくにはあっていないんじゃないかと最近思うようになった。
というのも通勤の隙間時間といってもやっぱり隙間時間しか時間がもらえないわけで、その確保できる時間もだいたい10分~15分前後が多い。
また、通勤の行きと帰りで当然頭で考えていることも100%違う。
例を挙げるとしたら、朝には今日の夜ごはんは、「オムライス」がいいなぁと思っていたら、帰るころには「からあげ」がいいなぁと思ってしまったり。
人間ってその時々で考えることが全然違う変わった生き物なんだと思う。


だから、noteを書き上げるときはある一種の”勢い”というのも必要であると思うに至ったわけであり、ついに僕はnoteを投稿するにあたって最適な時間を見つけ出すことに成功した。

それは、一日の終わりに書くようにすることだ。
一日を俯瞰的に見ることができて、書くテーマを絞れるっていうことも理由としてはもちろんその通りだと思うが、僕としては、書いた後にすっきりした状態で、布団に一切の後悔なくDIVEすることができる!ということが夜に書くことの一番の理由であるように思う。

それは、お酒を飲みながらでもいい。
とりあえずこうやって何日かは一日を締めくくってみるのも悪くないんじゃないかなとやっと書き終えた今ではそう思う。

ちなみに、書いた時間は分換算で21分。
秒換算で1,260秒。


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