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006 流水花葬 - Future Textbook -

この夏、梅花藻を見に行った。

とんだ思いつきで福島県の猪苗代湖を自転車で一周して、その道中に梅花藻を眺める時間を設けた。

星の数ほどあるやりたいことが一つ、それをきっかけに言語化以上・具象化未満となったので此処に書き出しておく。

そうすれば実現への道が生ずることもあるかも知れない。


猪苗代湖とその界隈

  • 日本で4番目に大きな湖(面積:約103平方 km、深さ:約93 m)

  • 水質:弱酸性の貧栄養湖(透明度が高い)

  • 生態系:国指定天然記念物ミズスギゴケの群落、白鳥の飛来地

  • 別名:天鏡湖(四季折々の磐梯山の雄姿を映す)

湖南から見た猪苗代湖と磐梯山|福島|2024

猪苗代湖の周囲を巡る道は湖に隣接していて眺めがとても良い。
一周約58 kmほどの距離はさておき傾斜が殆どなく、普段から走り込んでいなくとも頑張れば自転車で一周できるし、しんどさよりも楽しさが勝る。

猪苗代湖を一周サイクリングすることは『イナイチ』と称され、観光資源としてルート案内やレンタサイクルなども整備されている。

そんなことはつゆ程も知らず、私は単純に猪苗代湖南へのアクセスの手段として宿で自転車をお借りした。
地域の方が保全されている『清水川の梅花藻』の生息域まで、元々はバスで行くつもりだったけれど、こちらの都合と運行時刻が上手くマッチしなかったので、そうしたまでだ。

途中立ち寄った食事処の方とおしゃべりする中で「そういうわけで、ちょっと走ろうかなと思って……」と言うと、「いや、ちょっとじゃないから」というキレの良いツッコミが入った。無論、私にボケたつもりはない。

そこから『清水川の梅花藻』までは少し離れていて、「蕎麦屋があるあたりだったかな」とか「看板があったはず」とか、お母さんと娘さんが色々と知っている情報をくれた。

「行ったことがあったらもっとちゃんと教えてあげられたのに」と無念そうにされていたけれど、他所からやって来た人間とこんな風にコミュニケーションをとってくれること自体が嬉しい。

磐梯山が正面に見える特等席|ちょうど他のお客さんが皆いなくなった
名物アカハラ天ぷら丼、ご馳走様
赤紫蘇ジュースで生き返った

アカハラ

酸性湖でも生息可能な川魚ウグイ(ハヤ)の地域名。産卵期にお腹が赤くなることから、この界隈では「アカハラ」と呼ばれている。

赤紫蘇ジュース

赤紫蘇の煮汁は天然色素アントシアニンに由来する暗紫色だが、レモン汁などを加えて酸性に寄せることで、アントシアニン分子に水素イオンが1個くっついて鮮やかなピンク色になる。
物質の分子構造と色などの性質の関係は興味深い。

小川へ至り、原体験を思い出す

私の故郷の小川は平成の頃にコンクリート・リバーと化したけれど、此処にはまだ懐かしい環境が残っていることにホッとした。
そして羨ましくもあった。

そもそも諸橋近代美術館で催される『ダリ展』を目当てに福島の猪苗代に来たのであって、磐梯山や猪苗代湖や、ましてこの小川で人手をかけて守られている梅花藻を見にくることなど全くの想定外だった。

けれどこの地をじっくりと踏み締めて土地の人たちと話をして、頭の中が少し整理されたというか、調律されたように思う。

梅花藻バイカモ|Ranunculus nipponicus var. submersus

梅花藻

日本固有種の梅花藻はキンポウゲ科キンポウゲ属に分類される多年草の水草で、水温14℃前後の清流にしか生息できないため、「きれいな水」の目安となる指標生物としての側面もある。

その名の通り梅花に似た形態の花を咲かせる藻で、開花時期は地域にもよるだろうけれどおおよそ7〜8月頃だ。

訪問時期が8月末頃だったので、花はもうあまり残っていないだろうか、それでもどんな環境に棲んでいるのかを見られたらまあいいか、と思いつつ此処へ来た。

けれど予想に反して、まだまだ全盛期だった。

広々と咲き誇る梅花藻

まさかこれほどの群生だとは思いもしなかった。

けれど、畑や民家を含めた景色の中に溶け込みすぎていて、わざわざアピールされなければ、特別な小川だということがよそ物には到底分からない。

写真趣味

ごついカメラを抱えて写真を撮りに来ている人たちもいて、皆、思い思いのポジションを確保しながら撮影していた。

「流水に揺れているを撮りたい」と拘りを呟く人も居た。

私のiPhoneでは露出の調整もできないので、特に白い花は輪郭がぼやけてしまう。だから今は自分が撮影する写真にはそれほど質的な期待をしてないのだけど、撮りたい対象が目の前に現れると手放した趣味に再び手を伸ばしたくなる。

油断して思考をそちらへ舵取りをすると、車を買うかカメラを買うかという脳内戦争が勃発し、疲れた頃に「どちらも買わない」という結論を絞り出して、ようやく冷静さを取り戻す。

一体これで何度目だろう。

環境保全の捉え方

私はこれまで「環境保護」と称されるものに対して懐疑的で、どちらかというと人の手を入れない方が自然だし、環境にそぐわず淘汰されようとしているものを無理に引き止める方がむごくはないだろうか、と考えてきた。

この先も遷移を観察したり、緩やかな保護には手を貸したりはすることがあっても、おそらく過激な主張には関わろうとしないだろう。

けれど福島で『清水川の梅花藻』を眺めたことをきっかけに梅花藻について調べ、回想と共にふと思うところがあった。

メメント・モリ|トンボの花葬場

図鑑とテリトリー

子供の頃、図鑑に載っているものを庭や近所の森や川で探していた。
どこにどんなものがあってという博物マップを自分の中に作りたかったのだけれど、実際にはそれほど多くの種類が見つからなくて不完全燃焼だった。

口には出さなかったけれど、現実はこんなものかと漠然と感じていた。

だから小学生に上がる頃には、手に取る本は現実世界で検証する必要のない小説に偏るようになったし、「理科」の教科書に掲載されている内容は情報としてインプットし、テストでアウトプットするだけのものになった。

テキストと現物

教職の勉強をしたわけではないけれど、自分が教える側の立場になって初めて、中学一年生の「理科」の序盤に登場するのが「身近な」植物だということを認識した。

だから現実の空間で対象に触れてみるのが一番だと思って、生徒らを教室の外「その辺」へ散歩に連れ出して、アブラナやドクダミを探しに行った。

学習塾でそんな授業をするのは珍しいかもしれないし、その組織でも私くらいだったけれど、私はそれ以外に現実の事物を現実のものとして理解する方法を知らなかった。

身近な生き物が日本の固有種でないのは何故か

梅花藻は都道府県によっては、レッドデータブックに記載されている。
「低温」「緩やかな流れ」「清水」と生息環境が限定されるし、他の日本固有種と同じく環境耐性のある外来種の圧を受け、淘汰されてしまうのだろう。

梅花藻は身近な存在ではないから意識の外側に居た。
けれどこの夏、日本の固有種の梅花藻を意識したことで、教科書的に聞き馴染みのあった外来種のオオカナダモに強烈な違和感を覚えた。

日本の理科の教科書に記載される「日本人にとって身近な生き物」が、なぜ日本の固有種、あるいは在来種ではないのだろう。

何もそうあるべきだ、と主張したいのではない。

けれど、これまで疑問を抱かなかった自分にも衝撃を受けたし、目が覚めたような心地になった。

空と川と雲と緑の大地|水の循環系の構成要素が全て揃っている

未来の教科書

身近な生き物が外来種ばかりなら、教科書にはそれを掲載するのが筋だろう。けれど私の場合は、その教科書を使った教育課程を通して「日本の固有種」に対する意識が全く芽生えなかった
少なくとも知る機会はあっても良いのではないか。

もし身近な生き物を日本の固有種や在来種に置き換え、その存在を当たり前のものにできたら、教科書を書き換えることができるだろうか

繰り返すが、そうあるべきだ、と主張したいのではない。

日本の固有種や在来種を近所で観察するという体験は、私が子供の頃には得られなかった。けれど将来の世代にとって当たり前のものにすることは、今からでも出来るのではないだろうか。

それはバーチャルでは意味がない。
色かたちだけでなく、その感触や脆さも含めて、手に取り距離感を体験することが肝心だ。

何より日本に有って他に無いものを大切にしたいと思うことに、理屈や理由が必要だろうか。

興味の琴線に触れたあれこれを抽出・精製し、第一の人生を編纂しています。Festina Lenteの信条に則り、「もっとやれ」というサポートによる加速度の変化はありませんが、私の心は満たされます。いつもご覧くださり有難うございます。