コメでパートやらして頂いてまして
ほとんど記事を書かない私にも
note 一周年のお知らせが参りました。
恥ずっ…💦
一日3時間はnoteを開いているはずだけど
その大半は読むことで時間が過ぎ、
面白かったなあ~
と、思うままにまかせて
ニヤニヤしながらコメントを書いて
何か記事を書こうと思い立って
開いたはずだったのに
TLに並ぶタイトルに気を取られて
つい読み始め、また時は過ぎ、
そして
自分が何を書こうとしてたか忘れる。
大して書きたいことでもなかったのかな…?
じゃあ、まあいいか。
そんな繰り返しで一年経った。
こんな繰り返しでも一年続いた。
だって、
あの人が投稿してるし、
あら、この人も面白そうなタイトルだし、
これ…
今読まないで、いつ読むんですか。
そして面白いと思ったら
「面白かったゾ」と爪痕のひとつも
残したいじゃないですか。
今、この気持ちをここに残さないで
いつ残すのですか。
自らは記事を書かずして
他人様の記事を読み放題、
コメント欄、書き散らかして
何だか申し訳なくて
それで何とか自分も投稿してみたりして。
それを自虐して
アイコンのキャッチフレーズを
変更しようかな、なんて
思ったりもしたんです。
noteを始めてすぐ
実は自分が「投稿」が苦手だということに
気づきました。
私は「投稿」ボタンがコワい。
頑張って投稿しても3日に一度程度が限度。
書いた記事を短くても
2~3日は寝かしているという事実。
何とかこの「人見知り」ならぬ
「投稿見知り」を克服したいと思いつつも
未投稿のまま、保留となって、
そのうちどうでもよくなって、
削除。
そんなことを繰り返していました。
(もとい、います…かな)
コメントも最初は怖くて
最初の3~4か月はほとんどしなかったです。
coucouさん、千世さん、琲音さん、なせさん etc
そしてこの企画をされているshogoさん
(他にも未だコメントに至れないnoterさんあり)
noteを始めて
まだあまりフォローもしていない頃、
自分のTLに並ぶ、後光差す彼らの記事
そしてフォロワー数やコメントの賑わい。
強烈なオーラに圧倒されて
スキもつけずにそっと離れていました。
それはまるで高校入学したての子が
憧れの三年生を壁に隠れて眺めるのに
似ているかも。
ピンポンダッシュさえも出来ない
そんな感じでした。
それが今や
「前々からコメントしてましたが、何か?」
しれっと、常連風な雰囲気をまとうスキルを
習得致しました。
習得というか、
毎日記事を読むにつれ
他の方のコメントを眺めるうちに
じわじわ触発されて行くのです。
そんな説があるかどうかは置いといて
幾つか並ぶ中でも秀逸なコメントを
見つけると、
そのコメンターさんの記事を訪問して
そこのコメント欄を更に読むという、
「コメント欄探訪」
それが私の note OJT となったのです。
記事を読む以上に
コメント欄を読んだかもしれない。
(今も継続中)
記事だけでなくコメントにも
その人柄や個性が
透けて見えたりするもので
コメント欄サーフィンを続けていると
記事では見えない一面を
垣間見ることもあります。
記事がメークアップ後なら
コメントは素顔なことも多い、
というのでしょうか。
ときにそれは
「見なきゃよかったかも…」という
ネガティブな発見であったりも
するわけですが、
でも、それも含めて
私にとっては良きOJTとして
土台を構築してくれた気がします。
記事・コメントの両輪が廻り始めると
その方とのサイクリングが楽しみたくなり、
「一緒に走りませんか?」と
自分は走って(書いて)もいないのに
近づきたくなるのです。
話してみたくなるのです。
仲良くなりたくなるのです。
そんな心理は
「つながる、とどける」は
コメントで楽しめているけれど、
「つくる」のタグは
まだ私には貼れないかもしれない。
つくっても投稿できないわけで…
千世さんの記事 ↓
こちらについ弱気コメントをしてしまったのですが、
こんな風に、どストレートに返ってきて
読まれてるわ~と苦笑いしてしまいました。
noterさんて、
何気に洞察力が半端ねえのな。
「つながる、とどける」のパートさん
まあ、今はこれも良きかな?
そんなふうに思える一年目、
という、
智恵子抄のような他愛もないハナシでした。
チェーンナーさんの記事を読んでから
何日経過しちゃったんだろう…💦
もーいい加減、投稿するぞ!
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