天邪鬼が叫びたい愛の歌
昔から人に想いを伝えることが苦手だった。
一言を重く捉えがちな自分にとって、他人との会話は何十にも並べられた選択肢から常に正解を探し出さなければならない作業のように思われた。
周りのスピードに合わせられるように、とりあえず思ったことを言うようにすると、その場限りの会話ができるようになった。しかし、それは同時に軽薄という刻印でもあって、繕うことはできても自分を表現できたことにはならない。自分を理解してもらいたいという気持ちは消え失せ、次第に他人との離感がわからなくなっていった。
言葉足らずなうえに見栄を張る癖がついて、真逆の解釈を与えてしまい誤解されることも多かった。
言わないと伝わらないけれど、どうせ言ったところで伝わらない。卑屈の無限ループにはまっていた。
縮こまると地面しか見えないけれど、見上げると周りの素敵なところばかりが目に付いた。
自分を理解してもらう言葉を使うことは難しい。でも、自分が見つけた他人の美点を伝える言葉なら使えるのかもしれない。
そんなことを考えるようになってから、私の中で大切にしていることがある。
他人を褒める言葉に嘘をつかない。
たとえ衝動的に放つ言葉であっても、その時自分が思った純度100%の言葉で伝えること。始めた頃はたどたどしく重苦しい伝え方だったものの、何度も挑戦するうちに自然と言葉が出てくるようになった。何事も訓練である。
意識して相手を褒めるようになると、案外人は褒め言葉を「褒め言葉」として受け取らないということに気が付いた。
マイナスの言葉はそのまま、むしろ大きくなって受け入れられるというのに。
多くの人が汚い言葉の沁みやすい傷を背負って生きているということだろう。
プラスの言葉をそのまま受け取るためには、ある種の「強さ」が必要なのかもしれない。
汚い言葉が傷を濡らしてしまうなら
あえて美しい言葉を誰かに。
この世に皮肉をこめて、天邪鬼は愛を歌う。
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