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感情は爆発だ。(違) ちっぽけを大きく見つめて書いていきます。 コロナ失業を経て転職。ライターへの想いを捨てきれずnoteに参加してみました。

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普通のフツウによるふつーのための

『普通』という言葉が大嫌いだけど、ふつーであることに憧れる。 フツウパラドックスを抱えて生きる私は、自分のことを「ふつ病」だと思っている。 そもそも私が普通と決別してしまったのは幼稚園の頃。 みんなが鬼ごっこやかくれんぼをしている中、私は絵を描きたかったし、おままごとがしたかった。 先生が「好きなことして遊んでいいよ」と言うので、みんなが外へ向かおうが友達に誘われようが私は画用紙の元へ走った。 おままごとをしている時は参加した。どろだんご遊びが流行った時は混ざったけれど、あ

    • 好きと嫌いに溺れること

      初めて潜った日のことを、私は覚えていない。けれど不思議なことに、水の中を想像すると気持ちが高揚するような、落ち着くような形容しがたい気持ちになる。 水に飛び込んだ瞬間、ピリッと冷たい痛みが走った後にジワジワと皮膚の周りに熱が集まっていく感覚。あの感触を受けると、私はなんだか歯がゆいような、不安や緊張感、それに楽しさのような陰と陽が混ざり合って、身体がソワソワしてくるのだ。その感情に名前を付けることは難しいけれど、心地良い感情であることは確かだ。 私が水泳を習っていたのは小

      • 殺虫剤に殴られた夜

        数年前、私は山と山の間に鎮座するコンクリート城の中にいた。 転職という名目で手にした自由時間で、自動車免許を取得することにしたのだ。 失業直後ということもあり安価で効率的な方法を模索した結果、インターネットという宇宙の中から釣り上げたいくつかのプランから「合宿免許」という手段に落ち着いた。 場所は山形県を選んだ。行ったことのない場所に行ってみたかったのと、価格が良心的である点が魅力的だった。 ご飯も空気もさぞ美味しかろう。都会にはない満天の星空を堪能できるに違いない。出発の

        • 「弱虫毛虫」か「弱虫小虫」か

          どちらが正かと悩んで、調べてみるとどちらも存在した。 そういう言葉や文章ってたまにある。 表現したい気持ちと一致するのなら、その言葉を選べば良いと思うのだけど、どちらの意味もしっくり来ないような、はたまた中間地点にあるような曖昧な気持ちが彷徨っている時は、決着をつけるまで悶々と悩むことになる。 例えば、弱虫毛虫が毛を逆立ててうねうねと動く虫を連想させるのならば、それは弱そうであると同時に、嫌われやすい存在なのかもしれない。 あの奇妙で滑らかな動きは、固い骨を皮膚の内側に持

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          黄色いメガネが似合う貴方へ

          帰宅途中の電車内。 目の前に座ったおじさまのメガネが黄色だった。 私はおじさまを凝視した。 あまりにもその姿が似合っていたもので、どうしても視線を逸らすことができなかった。 当然、こんな私でも赤の他人を見つめることが無礼であることは重々承知している。でも、とにかく素敵だったのだ、黄色いメガネが。 よく見ると彼はグレーのストライプ地のスーツに、革の鞄と、革の靴を合わせており、革製品は茶色で統一していた。 その時点で大層お洒落であることがわかる。それはいい。 そこまでだった

          黄色いメガネが似合う貴方へ

          恋が終わる瞬間の孤独

          恋の痛みを忘れたいときは、次の恋愛をすればいいと誰かが言った。 それは「嘘」の言葉だと私は思っている。 塗り替えられるような淡い色なら、最初からその気持ちを育てようなどとは思わなかった。コントロールの効かない重さが、きっと恋なのではないかと私を突き動かしたのだ。 恋のスピードと重力は比例しないけれど、そのエネルギーの威力といったらすさまじく、常時噴出しようと箱を圧迫し肥大させていく。 行き場のない熱量を自分の中に閉じ込めて、ただ焦がし尽くすしかない苦しみを、別の誰かに向けた

          恋が終わる瞬間の孤独

          人との交わりは味の変わったプリンのようで

          例えばの話。目の前にある大好きなプリンを頬張るとしよう。 食べてみると、それは意外にもおはぎの味をしていた。 私はおはぎが嫌いではないけれど、いただいた時に食す程度で好んでは食べない。 だけどよりにもよって。仕事が終わって、へとへとの身体を引きずって、楽しみにしていたプリンを食べたらおはぎの味にすり替わっていた。 これは事件だ。 いやしかし、昨日まではなんのへんてつもないプリンだった。 見た目麗しいコンビニスイーツをこの目で確認し、レジへと持っていったのだから間違いない。

          人との交わりは味の変わったプリンのようで

          「残酷な現実」を目の当たりにした

          中学生の頃、春休みの宿題で書道をしなければならなくなった。 4文字以上であれば好きな言葉を書いて良いとのことだったので、私は春休みを過ごしながらひらめいたことを書にしたためようと決めた。 休暇の過程で感性を刺激すれば、おのずと自分の納得する言葉をあぶり出せるはず。 そう考えた私は、近所の桜を見たり、友達と遊んだり、部活に精を出すことで有意義な時間を過ごした。 そして休暇も残すところあと2日。 他の宿題はとっくに終えたにも関わらず、頭の片隅に置き続けた書の道は難航を極めて

          「残酷な現実」を目の当たりにした

          奥底にしまっておいた疑問の箱

          大人になる過程で、私は何度もその疑問について答えを出そうとした。 でも、できなかった。 それは年齢と共にその難解度を優に超えて私の前に立ち塞がるからだ。 悔しいことに、年々スケールを広げて複雑かつあらぬ方向へと問題の幅を広げていくものだから、私は思考の沼へとはまる前に匙を投げてしまうしかなかった。 向き合わずして放棄するという行為は逃げだ、という解釈が世に蔓延していることは重々承知の上で、自分の日常に没頭することでその問題から目を背けたかったのだ。 今となっては意志薄弱の私

          奥底にしまっておいた疑問の箱

          褒められて人生が変わった話

          中学生の頃。思春期真っ最中の私は絶望していた。 1年生の頃は初めて制服と呼ばれるものに袖を通し、ただ目の前の世界に目を凝らすことに精一杯で、行き場を失っている「私」という存在について疑問を持つことすらなかった。 2年生になると学校生活に部活というものが加わり、社会に出るための準備をしているのかもしれない、くらいのニュアンスで日常生活というものを捉えていた。やっぱり自分というものはよくわからず、その時楽しめるものを探していた。 そして3年生への進級が近付いた頃、私は「将来の夢

          褒められて人生が変わった話

          怖くてたまらない人は優しかった

          この世には怖い人がたくさんいる。 過敏で争いごとが嫌いな臆病者の私は、威圧的な態度をとられることが苦手だ。自然と周りには穏やかで優しい人ばかりが集まっていて、思えば無意識に自分にとって都合の悪い人を避けていたのかもしれない。 数年前に知り合ったTさんは、人当たりよく穏やかな雰囲気をまとっているにも関わらず、何故か初めて会った時から「怖い」と感じる人だった。 話してみると感性が近い部分もあり、自然と会話が増えて個別で会う機会も増えていった。 「怖い」なんて第六感は私の勘違

          怖くてたまらない人は優しかった

          天邪鬼が叫びたい愛の歌

          昔から人に想いを伝えることが苦手だった。 一言を重く捉えがちな自分にとって、他人との会話は何十にも並べられた選択肢から常に正解を探し出さなければならない作業のように思われた。 周りのスピードに合わせられるように、とりあえず思ったことを言うようにすると、その場限りの会話ができるようになった。しかし、それは同時に軽薄という刻印でもあって、繕うことはできても自分を表現できたことにはならない。自分を理解してもらいたいという気持ちは消え失せ、次第に他人との離感がわからなくなっていった

          天邪鬼が叫びたい愛の歌

          アラサー女のとある秘め事

          自宅以外でその場所に入るとき、必ず守っている決まり事がある。 その場所へ足を踏み入れたら、まずすれ違う人と挨拶を交わすこと。 これは職場での話で、公衆の場では適用外であることが多い。 導入に記載したけれどそこまで重要事項でもない。 兎にも角にも重要なことは、 「真ん中」のドアを目指すことである。 もちろん空いていればの話だ。 遡ること十数年前。 まだあどけない私は『トイレの花子さん』に夢中だった。 知人宅へ遊びに行っては『トイレの花子さん』のビデオを鑑賞し、怖い話に肝

          アラサー女のとある秘め事

          お母さんに怒られた話

          「ちょっとこっちに来なさい。」 母がいつもよりも低い声でそう呟く時は、大抵怒っている時だ。それは知っている。でもここ数年、下手すれば十数年その声を聞いていない。 私は少し迷った。何か不快にさせるようなことをしてしまったのだろうか。 ここ数日の出来事を思い出してみても、さほど原因らしきものは見当たらない。 いくつになっても怒られにいくというのは嫌なものだ。 たがだか数歩という微妙な距離を、私はゆっくりと歩き時間を稼ぎながら母の元へ向かった。 母は真剣な目で私を見つめて、や

          お母さんに怒られた話

          「楽しむ」を味わって食べる

          「楽しむ」を食べると、実は苦い。 それに気付いたのはつい最近のことだ。 小さい頃の「楽しむ」は甘くてサイダーの味だった。 例えば、学校の行事や家族で遠出するときは前日の夜が一番楽しい。 遊園地へ行けば一目散にジェットコースター乗り場へと向かい、取り憑かれたかように何度も乗った。 お化け屋敷は怖かったけれど、そこで味わうスリルやドキドキは「楽しい」の匂いに似ている気がした。 本の世界に飛び込めば、まるで自分の未来がそこにあるかのように、夢の世界を泳ぐことが楽しかった。 習い

          「楽しむ」を味わって食べる

          「四苦八苦」という言葉の意味

          「また四苦八苦してるね」 居間で考え事をしていると、突然父がそんなことを言った。 悩んでいることには違いないけれど、苦しみを2つも所有する四字熟語だなんて大袈裟すぎやしないだろうか。あまりの苦しみに耐えかねてもがき苦しむ様を想像してしまう。 私はそんなにも必死の形相で佇んでいたのだろうか。 鏡を準備して顔を整えようとする私に、違う、と父は続けた。 「四苦八苦っていう言葉には、もっと広い意味があるんだよ」 父の台詞が気になった私は、その真意を探ってみることにした。 しく

          「四苦八苦」という言葉の意味