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山に問う。山はこたえてくれたでしょうか。

先日、山に登りました。

わたしが住んでるところで山といえば、"高尾山" 世界一、登山客の多いお山らしいですね。いつもは6号路で山頂まで行き、そこから1号路で下山するのですが(いつも早朝5時台に登るので。)今回は高尾山山頂からさらに奥。というか上。というか、小仏城山まで行ってみたいと思って、一人で行ってきました。

だいたいね、わたしは一人慣れしてないのですよ。いつだって友達か夫と一緒。誰かがいないとちょっと不安。誰かに寄り掛かりたい。世話になりたい女、ナンバーワンなわけです。

でもねっ。それじゃなんかイケナイような気がしてきて、最近っっっ。一人でも楽しめるようなサムシングを見つけたくて。


あ。山登ろう。

って思ったんです。行ったことがない場所、自力で行かなきゃ見れない景色を死ぬまでに一個でも多く見てみたい。高尾山まではもう何回も登ってるからその先の景色、風景、空気、viewをみたいんじゃーっ!っつって行ってきました。

そしてここまではなんとなくFacebookには書いたことですけど、ここから先はnoteにしか書いてないこと書きますね。

「わたしは瞑想の指導者になりたい。」

お恥ずかしながら。わたしは瞑想の指導者になりたいと思い始めています。

今年の8月に高野山へ行き、阿字観という瞑想体験会に参加して以来、すっかり阿字観の世界に魅了されております。高野山で一度体験はしたけれど、やはり真言宗のお坊さんに教わりたいし、正しいやり方を習得したい。阿字観によって知ることができた心地よさを知りたい人がいたらお伝えしたい。

そんなふうに思っています。(言っちゃった、ドキドキ。)

高野山に入山して学びたい気持ちもあるのだけれど、家庭にもいたいし、仕事も好きだし、尼僧さんになりたいわけでもないんだけれど、真言密教を知れば知るほど、その不思議な魅力に興味が湧いてきています。

そしてなによりやっぱり、阿字観が心地いい。

「この気持ちをお山に問うてみよう。」そんな気持ちで山に登ってみました。

結果、あっさり言っちゃいますけど、山は何もこたえてくれません。これというメッセージも気づきもひらめきもありません。山はただただ登るのが大変っ。足元ガクガク。山や自然の声に耳を傾けるどころか、自分の心拍数がただただ心配。

一応、ね。目的地まで着いたけど。
もう体バラバラになりそう。。。


登ってる途中、思い出したらお大師様を唱えたりしましたけどね。「南無大師遍照金剛」を唱えたりしましたけどね。(※意味は、弘法大師様にお任せいたしますぅ。という意味だそうです。)

南無大師遍照金剛を唱えながら、「御心のままに、わたしの行いが相応しいところへお導きください。」とおもいながら登山しましたけどね。山はこたえてはくれませんでした。

そりゃそうです。山は山ですから。山が「瞑想の指導者になったらいいと思うぞおおおお」とか言い出したら恐ろしくて気絶すると思う。

何が言いたいかって、


もう自分次第なんです。
わたしがやりたいって思ったらやりたいし、
やるってなったらやるんだし。
山とか川とか海とかに聞かなくても
それは自分で決めて自分でやるだけなんです。

"阿字観"は真言宗の瞑想だから、ちゃんとお坊さんに教わらないと人にお伝えしたり教えたりするのはまだまだできないし、そんな資格もないほどにビギナーすぎるけど、いつか瞑想の指導者になるとだけはもう決めました。そしてそのために今できることは日々の瞑想と、月に一回の阿字観教室に通うこと、それを日常的に生かすことだと思ってやっています。

「行けばわかるさ!」と、アントニオは言いましたね。(ご冥福をお祈りします。)阿字観の道、瞑想の道、行けばわかるさ!

片付けの人、瞑想の人、そう認知してもらえるよう精進します。

南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛

わたしの日々の行いに
相応しいところへお導きください。

ちょっと真面目な事を書きました!ではまたnoteで会いましょう!

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