見出し画像

【“諦める”の本当の意味】執着とか視点とか、生きづらさとかの話

安西先生の「諦めたらそこで試合終了」って名言は有名だけどさ(´º∀º`)


「諦めが肝心」って言葉もあるよね…?


諦めるの?諦めないの?
一体、どっちなんだい?(´º∀º`)


何となく見ていた動画で、何となく分かった気がしたんで、今日は何となく“諦め”について考えてみるぜ!


そもそも“諦める”とは…


“諦”という字は、仏教では「真理・道理」という意味があって。

「真理や道理を明らかにする」というのが本来の意味だと言われているよ(´º∀º`)


でも、「断念する」という意味で使われるのが一般的。

諦めることは「あまり良いことではない」という印象だよね…


特に昭和世代はさ、「諦めるな!!」「もっと頑張れ!!」って叩き込まれて育ったワケだけど。

私はどうも馴染めなくてねぇ…


だって、「頑張ってもどうしようもないこと」ってあるじゃない?(´º∀º`)


もちろん、スポーツなんかでは、諦めない姿に感動したりもするけど。



のらりくらり生きていたい人間だから、実生活の中で、


「絶対諦めないんだからぁぁ!!」

みたいなのを見ると、ゾッとしてしまう。


場合にもよるけど、そこに「現実を受け入れない“頑固さ”」みたいなモノを感じてしまうから。


それは言い換えると“執着”。


執着すればするほど、その対象しか見えなくなって、本来の意味の「明らめる」ことが出来なくなっちゃうんよね(´º∀º`)


この前の記事でも書いたけど、


私は人間関係で「これ以上、この人から得るものはないな」と感じる瞬間があるんだけど。


それって、その人の器が“明らか”になったから、その関係を“諦めた”、ってことなんだなって気がついた。

この先「購入してまで読むほどでも無い」って方は、ハートマークだけでも押してってちょーだい!

“ラクに生きるための、今日の開運アクション”が出るぜ!(´º∀º`)

ここから先は

1,712字

¥ 150

この記事が参加している募集

私の記事を読んでいただき、ありがとうございます(´º∀º`) 有料記事やサポートで得た収益の一部は、主に子どもの支援活動を行っている団体等へ寄付させて頂きまーす!