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細かいことを知ることで?

アスリートが運動指導者として活躍する為に必要な学びを提供しているメディアです。
今回は昨今の学習系コンテンツに関して思うところを綴っていこうと思います。
今回もたかが私見、されど私見ということでお読み頂ければ幸いです。

目覚ましい科学の進歩

私は10年以上前にスポーツサイエンスを学び始めました。
この約10年というのは、ガラケーがスマホになった10年です。
10年前は“ケータイ“で買い物ができるとか、家の鍵がかけられるとか、そんなものは夢物語だと思っていました。
片手に収まる端末で生活の大部分をまかなえるなんて思ってもみなかったわけですが、今になればそれは当たり前のことになったわけです。
この事例だけ見ても、本当に科学の進歩というのは目覚ましいものがありますし、それは加速度的。
どんどん新しいものが生み出されていて、本当について行けないというのが本音でしょう。

研究分野の進歩も目覚ましい

スマホという私たちの日常に寄り添うデバイスの進化が目覚ましいということは、私たちが日常ではあまり馴染みのない研究の分野も同じです。
本当に細かいことが分かってきた、というのがここ最近のあらゆる研究の成果です。
10年前には「?」だったことも、今では分かっていて当たり前というのはままあることです。
また10年前に常識だとされていたことが、今ではそれは誤りだったということも良くある話。
研究をされている方には本当に頭が下がります。

さてそれを活かせるか?

研究者が色々なことを突き詰めていることによって様々なことが分かってきた……でも私たち指導者はそれをどう受け止めればいいのでしょうか?
昨今ではオンラインサロンたるものが乱立し(私もやってる)、最新の研究によって明らかにされたことを学べるような環境も身近にあると言えます。
それは結構なことだとは思いますが、その研究結果というか最新情報を指導の現場でどう活かせばいいのかが分からないという人は多いと思います。

そう、その疑問は正常。
実は分かったところでどうしようもないことが多いのが事実なのです。
結局私たちが何をすべきなのかと言えば、目の前のお客様だったり選手だったりの問題点を的確に発見し、それに対して適切な対策を講じろということです。
そこに科学の力は当然必要になってくるわけですが、そんなに細かいことに目を奪われてしまっては仕方ないということもままあるのです。
細かいことを知っておいて損はないのですが、本当にその情報って必要?という話も多いということです。

結果が全て

私たちの使命が目の前のお客様だったり選手だったりの問題点を的確に発見し、それに対して適切な対策を講じることであるなら、つまるところ結果が全てです。
細かいことを切り取って講釈垂れたところで、結果が望むものでなければあまり意義がありません。
逆に、細かいことなんて放っておいても結果が望むものであればそれで良いとも言えます。
もちろんその結果に導いたノウハウにある程度の再現性は必要なので、細かい話は分かっておく必要があります。
ただ、結果が全てです。
ごちゃごちゃ言わなくてもよかった、ということに再現性が見出せるのであればそれは立派な指導であったと言えるでしょう。

受け手の気持になって

私たちはある程度細かいことを知っておく必要があります。
しかしそれを指導の現場でどう活かすかはよくよく考えねばなりません。
受け手がどんな人かによりますが、その人の望む結果に導く為に細かいことを言い過ぎても仕方ないなんてことは良くある話。
自己満足で細かい情報を垂れ流したところで、望む結果には繋がらないのであればそれは時間の無駄。
細かいことを知ることで指導レベルが上がるのか、小難しい指導になってしまうのか、これは微妙なところです。
要は受け手の気持ちになって伝えることが大切、受け手に理解させてナンボ、ということです。
勉強することは素晴らしいことですが、それが受け手に伝わるようにどうすればいいか?インプットとアウトプットの間の時間を大切にしましょう。

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