いつまで続くの?疲れた私が登校刺激をやめたタイミング
登校拒否をきっかけに息子の発達障害が発覚。
ASD(自閉症スペクトラム)子育て中のマエリンです。
息子が登校拒否をするようになって思ったのは、
「この生活はいつまで続くんだろう?」でした。
登校刺激をすることに疲れた私が、
「学校行きなさい」と言うのをやめたタイミングについてご紹介します。
登校刺激に疲れる
朝からテンションを上げて、ご機嫌を取ったり。
「今日は行くだろうか」と勝手に期待して、勝手に失望したり。
他の子が登校する姿を窓から眺めては、YouTube見てる我が子にため息ついたり。
私が「学校行かないの?」と聞くと、息子は耳をふさいだり、違う部屋に逃げ込むようになりました。
毎日がその繰り返しでした。
学校へ行くことがストレス
小さい頃から少し神経質なところがあった息子は、登校拒否を始めてから音やにおい、肌触りなどにうるさくなりました。
ちょっとしたことでイライラするようになり、服のタグや縫い目が痛いと、着ていた服を脱いで床に投げつけたりもしました。
学校に行くように促すことが息子のストレスになっているとは分かっていましたが、私は登校刺激をやめませんでした。
当時、学校へ行くことは当たり前だと思い込んでいた私は、息子を『学校へ行ける子』に変えなきゃダメだと思っていたのです。
登校刺激をやめたのはいつ?
学校へ行くように促すことをやめたのは、適応障害の診断をもらってからでした。
登校拒否を始めて6ヶ月経ったくらいの頃です。
それまでは無理やり学校に行く約束させたり、おやつやゲームで釣ったりしてました。
診断はどこで?
診断をもらったのは児童精神科です。
児童精神科を受診した理由は、感覚過敏や自傷行為が始まったから。
音がうるさく聞こえたり
靴下が痛く感じたり
イライラして自分の腕を噛んだり
学校へ行くことがストレスで、日常生活がまともに送れないほどになりました。
息子と一緒に受診し、学校へ行きたくないこと、過敏の症状が出始めてつらいことを伝えると、
「不安・緊張状態のせいで感覚が敏感になっている」と言われました。
診断されてどう思った?
やっと開放された!と思いました。
息子につらい思いはさせたくない、でも学校には行ってほしい。
学校に行くと息子はつらい、でも「行かなくていいよ」が言えない。
ずっとグルグル回っていました。
「みんなと同じように学校へ行かせないと」という固定概念に縛られ、私の価値観を息子に押し付けていました。
第三者に「学校に行くのつらかったね、よく頑張ったね」と言ってもらえて、もう頑張らせなくていいんだと思えました。
なぜ児童精神科だったの?
診断書が欲しかったからです。
スクールカウンセラーは予約が取れないと聞いていました。
診断書をもらうなら医療機関の方がいいのかなと思ったので、
『登校拒否 相談』で検索して出てきた児童精神科を選びました。
何が変わった?
罪悪感というものが減りました。
それまでは「みんなと同じようにさせないと!」って焦ったり、イライラしたり。
あとは、要望を伝えやすくなりました。
診断書があることでわがままや甘えと片付けられず、さらには引け目を感じずに、
「休みます」「こうしたい」と伝えられるようになりました。
まとめ
私は「学校へ行かせなきゃ」という固定概念に縛られていました。
何としてでも学校へ行かせたかった私が、登校刺激をやめるには第三者の存在が必要でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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