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お金を配っても貯蓄してしまうのは、"貯蓄のエンタメ性"に問題があると思った話

noteをしばらく書いていないとどんどん自分の中で再開するときに書く記事のハードルがあがってしまいさらに筆が重くなる現象に名前をつけたい。

そんなこんなでとにもかくにもnoteを更新するべく、自分のハードルを下げる目的で本当にふと思ったことをとりとめもなく書いていこうかと思います。

何の教訓にもならないですが、全世界に7000億人いる(※立川市商工会調べ)「私という人間がどういう考えをしているのか」ということに関心を寄せている方々へ向けて書きます。

ちなみに自分はホリエモンのような「あり金は全額使え」論者ではなく、どちらかというと倹約と投資で着実に資産を築いていくことに関心がある人間なのですが、そういった自分の視点から「なぜ人は貯蓄してしまうのか」ということについて考えたことをまとめて行こうかと思います。

お金を配っても貯蓄する国民の危険性

noteなんかを読んでらっしゃるリテラシー高い系の皆様はご承知のことと思うので手短に書きますが、政府の政策として行われた定額給付金はほとんどが貯蓄に回されて経済刺激策としては失敗に終わってしまいました。

政策自体に色々言われてはいるものの、自分としては結局やってみなければ分からなかったことがわかったという点で「日本人に現金給付は効果が薄い」というデータが取れたという功績は大きかったのではと個人的には考えています。

とはいえ、「現金を配っても貯蓄に回す」という行動に至った経緯ついては様々な考察がなされています。

主な主張としては長年続く不景気による生活や老後への不安というものが多かった気がします。多少生活が苦しくなっても、将来のために貯蓄しておこうという思考に至った国民が多かったという論調です。

この観点に関しては自分も同意なのですが、それ以外にももっともしかしたら根深い問題があるんじゃね?ということを考えたのがこの記事のタイトルに示した結論です。


貯蓄のゲーム化がテクノロジーによって加速した

本題に移る前に少し自分語りをさせてください。

自分も給付されたお金はなにかに使おうと思いつつ、ぼやぼやしているうちに結局貯蓄に回ってしまったかと思います。(積み立て投資で消えた気がする)

その原因を深掘りして考えると、自分でも薄々感じていた根深いお金の病を自覚した気がしました。

ところで、昨年転職をきっかけに年収もあげることができました。

ボーナスが出ない年俸制というのも影響してるのですが、1月ごとの月収が大きく向上しました。

一方で首都圏から関西へ移り住んだことで生活費はほぼ横ばいで住居費はがっつり下がりました。

経済的な自立を目指しているため日々の固定費に関してはかなりシビアに見ているということもあり、自慢や嫌味にとられることを恐れずに言いますが転職後に資産の伸び率が一気に跳ね上がりました。

一方で金融資産が増えていくのを見ていくと、どんどんお金としての重みというか、実感が薄れていく感じがありました。

かつては現金を大切に財布にしまって、買い物のたびにそれらが減っていくのをフィジカルな感覚として持っていたはずなのに、財布に入り切らない資産を持つとそれらが実態から離れてスマホ上のただの数字として自分の中に認識されていく感覚になっていきました。

この感覚は多分体重や体脂肪率に近いものと感じていて、例えちょっと食べ過ぎた日があったとしても鏡に映る自分の姿が激変してしまうということはあまりありません。

しかし体重計に乗って昨日より1kg増えてたとなると焦って翌日から食事をセーブするというようなことがあるかと思います。

お金も体重も、実態として存在しているはずのものなのに我々は無意識的にその「数字」のほうにばかり意識がいっていたりします。

そして「数字の上がり下がり」というものにはゲーム性、エンタメ性がはらんでいます。

例えば、すでに健康体であるにも関わらず体脂肪計などで体脂肪率や筋肉量が数字として可視化されると「もう少し頑張ってみたい」という思いに駆られてしまいます。

そしてその頑張りは数字に反映されるため、さらに頑張りたくなる。これはお金に対しても同じことが言えると思っています。

普通に考えたらこれってすごく良いことで、そうやっていくことで人は健康的になり、資産が増えていくようになります。

ただ、一方でこのゲーム性、エンタメ製の危険性に関しても認識する必要があるように感じました。


終わりのない「数字ゲーム」が目的化する

また自分の話ですみません。

最近コーヒーのサブスクを見かけるようになりました。猫も杓子もサブスクサブスク

自分がよく行く施設のカフェでは1日2杯のコーヒーやカフェラテ、抹茶ラテなど好きな飲みものを月額4800円でサブスクできるようで気になっていました。

4800円というのは決して安い買い物ではないのは間違いありませんが、一方で今の懐事情から考えると月に4800円の出費が増えたところでほとんど生活に影響はありません。(嫌味野郎)(ごめんなさい)

でも自分はずっと悩んでしまいました。施設内は基本的に飲食自由なため、家で作ってる水出しコーヒーをボトルにつめて持っていけばいいし、それがないときは近くのコンビニで1本118円のボトルコーヒーを買っていったほうがコスパがいい。

さらに施設内ではノートパソコンでの作業になるため、大きな画面で作業したい場合はどうしても家でやらなくてはならなくなるし、それらを鑑みて月のうち平均で何日通うのか、その日数コーヒーをオーダーした場合1杯いくらの計算になるのかなど何度も何度も脳内でシュミレーションして電卓をたたきました。

しかし、何度シュミレーションしても自分にとって合理的なメリットがありませんでした。
その度にもうサブスク契約はしない、と心に誓っていても何となく気になってしまう、そんな日がずっと続いていました。

そんな中ふと、「なぜ契約したところで自分の生活に大きな悪影響もないようなものに関して頑なに拒否をしているのだろう」と考えるようになりました。こんなに毎日気になってしまうなら別に契約しちゃえばいいじゃん、という思考です。


そのときに自覚したのが、前述の「貯蓄のエンタメ性」に毒されていた自分でした。(ようやくたどり着いた、

自分は毎日スマホに入れているマネーフォワードMEで自分の資産の推移を確認しています。

資産のほとんどは投資信託をはじめとした株式なため増減に関してコントロールできない部分も多いのですが、日々増減する自分の資産(数字)を毎日なんとなしに眺めていました。

そんな自分は完全に貯蓄ゲーム中毒者なのかもしれない、と思い至りました。資産を確認するとき、そこに表示される数字の増減には人を夢中にさせてしまう麻薬的な要素があるように感じます。

その中毒に陥ると本来実体を伴っているはずの資産という物体が単純なゲームスコアに還元され、その数字を上げることが目的化してしまうようなことが起こっているように感じます。

特にここ数年は両学長を筆頭に「貯金1000万円する方法」や「簡単超節約術」のような資産形成や財テク系のYouTube動画の人気が根強く、この傾向を後押ししているようにも感じています。

そうなってくると、大げさではなくこれは日本の経済動向へも関わってくるもののように感じました。

お金があっても日々目にしている数字(ゲーム)のことが頭をよぎり、財布から消費市場へお金を流せない。

そんな慢性的なお金使えない病が無視できないレベルでまん延しているような気がします。


「お金を使う」を頑張る

もちろん決して無駄遣いを推奨するものではないのですが、一方でお金って使ってみないとそれが無駄なものだったのかどうか判断ができないという側面もあるかと思います。

ちょっと気になっていたおしゃれなお店に外食に行ってみる、見たかった有料の映画を見てみる、やってみたかった遊びをやってみる、

自分の場合考えてみると、無意識的に「これお金出してまで必要ないよなぁ」と思い避けていたものが結構あったりしました。

時間が経てば頭から消えて気にならなくなるのですが、それでもたまにやっぱり思い出したりして「どうしようかなぁ、お金だそうかなぁ」と悩むことがあったりします。

どれも大したものではないのであまり気にもしていなかったのですが、一方でやっぱり何度も頭に浮かんで「どうしようかなぁ」と考えてしまうくらいなら一度お金を使ってみてその後で判断してみてもいいはず。

このゴールデンウィークは、そんな「多少無計画にお金を使ってみる」を頑張ってみようかなぁと思ったりしました。

そんな今は、真剣に一度人生初のパチンコに行ってみようかなぁと画策中。これでドはまりしてパチンカーになっていたら冷笑してください。

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@やました
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読んでいる本のメモをつぶやいています。
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