つくり手であること 03*腸と意識
小学校の低学年だった頃、母が突然、山伏の修行に出ていきました。
専業主婦だった母が、私だけでなく、高校生の兄、公務員の父、姑にあたる私の祖母、そのほか彼女の暮らしの全てを置いて、山形県の羽黒山に籠り、しばらくしたら修行を終えて帰ってきた、ということがあったのです。
そのことをつい先日、実に30年近く経って思い返していました。
なんだったんだろう、あれは。
振り返ればあれは、父が亡くなる6〜7年前のことで、でも、すでに父は担当事業が振るわなかったストレスで酒量が増え始めた頃。いわば彼の(そして我が家の)暗黒期・序章という時でした。
朝は家族の誰よりも早く起きて、一番遅くに寝ていた母のストレスは、子どもには計り知れないほどの限界レベルに到達。しばしお暇をいただきます、とばかりに現実逃避をしたのです。
その行き先を「山伏か、尼寺に出家するか」と考えものの、まだ全ては捨てまい、と短期間で帰宅する前者を選択。
ストレスを癒すためのリトリートが、沖縄やハワイで開放され上げ膳据え膳を味わうのではなく、山に入り、滝に打たれ、火を焚いて、質素な食で修験道を歩むとは、想像ですが、きっとちょっと、生まれ変わりたかったのかもしれません。
当時の母の年齢に近づいてきた今は、ちょっとだけ、彼女の気持ちもわかるような気がします。ちょっとですが。
さて、だいぶ前置きが長くなりましたが、なぜ30年も前のことを、それも、ものすごく曖昧な記憶を振り返ったかと言うと、実は先日、生まれて初めて軽い食中毒になったんです。
今日のコラムは、「つくる」ことから続く、健康にまつわるお話です。
食中毒の最中に考えたこと
夕飯に外食したあの日、夜寝ようとした時くらいから、体験したことのない異変を感じました。とりあえずお手洗いに行きましたが、結局一晩中、寝室とお手洗いを往復してるうちに夜が明けました。
ご存知の通り「胃酸」は強力な酸です。それが駆けめぐった体は終日ぐったり。それから2日間は少し動くだけでフラフラ、食事はお粥を2〜3口食べるだけで精一杯。なによりも、私の唯一の自慢だった「胃腸の強さ」がこてんぱんに敗北をしたことにも秘かに傷つき、もう心身ともに疲労困憊です。
不調で寝てる、ということ自体も不慣れため、天井を見ながらボーッとしている間に、食のこと、栄養のこと、体のこと、免疫のこと、人類のこと、そして自然のこと、地球のこと、と考えが巡り続けました。
ふと、「はて、私はいつからこんな日常的に、地球だの自然だの、エネルギーなんてことを意識し始めたのだろうか?」と記憶の時計をさかのぼったら、母が修験道を歩んだときだった、と気がついたのです。
木を枯らすとは
修行を終えた母は、何事もなかったように家庭に戻ったのですが、しばらくの間、お手洗いに入ってる時間がとても長くなりました。そして出てくると時々「あのイチョウを一週間で枯らす」とか言うのです(ここだけ切り取って書くと、とんでもない凶暴感がありますね笑)
実家の向かいには、道路を挟んで大きなイチョウの街路樹が1本、落ち葉の季節は母も朝晩と道路を掃除していた木がありました。我が家は焚き火と焼き芋などをしてたものの、どうやらご近所では邪魔だとか、死角が危ないとか、掃除当番が、といった小さな議論があったようで、そういうときって「切り倒す」派も出てきます。
枯らせば救えると思ったのか何なのかはわかりませんが、母は人知れず、でもしっかりとイチョウの全体が見える2階のお手洗いの窓から、イチョウに向かって気を送るべく、小さな個室でたびたび修験者に戻っていたようなのです笑。
目に見えぬもの、避けますか、向き合いますか
そのイチョウの木は今も変わらず健在なのですが(笑)私自身はこの頃から少しだけ変化があって、幼い故に言葉にできなかった「気」とか「波動」みたいなことを、なんとなく言葉でも考えるようになったのでした。
と、脳の中で約30年の時間旅行をしている間に、親友たちとのLINEでは、珍しく床に伏せてる私に驚いたり心配したり。お礼やグチを聞いてもらっていると、友達は続けて「でもちゃんと出せてよかったね」というお褒めの(?)言葉をくれました。
ハッとさせられました。
そういえばそうでしたよね、人間の体はときに、状態にそぐわない、生命維持にふさわしくないものは拒絶するのでした。
私の体はあの時「あ、今これ吸収しちゃったらやばいぞ」とちゃんと判断して正しくアラートを発生。胃酸を起動させて強制的に排除してくれたのでした。
そう思うと、気候変動が加速し、"◯◯年に一度の"大雨や台風を繰りかえす地球の健康状態が心配でたまりません。
近年この星が必死に排除しようとしているものは何でしょうか?
未知のウィルスやそれを抑えるワクチンは是なのでしょうか?
目に見えなければ、全てが恐るべき対象なのでしょうか?
地球がぐったりしてしまう前に、どうにか回復できるようにしてあげたい。結局この私の人生は、そのために自分にできることを模索し続けてきたようです。個人の人生だけじゃ足りない気もしますが、もがく姿を発信することで、誰かにバトンが届くと信じるばかりです。
さて、今日のコラムはだいぶ徒然で、やや個性的な母をさらす形になりましたが、ここまでお付き合いくださったご辛抱へのお礼として、最後に、胃腸自慢のわたくしが日々行なっていることを紹介して〆たいと思います。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、欧米人と比べて「腸」が長い日本人。どうやら腸の出口の角度も少し違うそうです。そのため日本人にとっては、座る洋式よりも、しゃがむ和式の方が腸に負担が掛かりません。
とはいえ今の時代、公園だって洋式です(元山伏の母も、現在の家はがっつり水回りをリフォームして洋式です)
そこで、しゃがんだときと同じ出口の角度にするために、腰よりもヒザが高い位置になるように腰かけるといいのです。
もうお分かりだと思いますが、この箱はそのために自作した踏み台です。作らなくても、ヨガブロックや読み終えた本を数冊など、とにかくご自分が腰掛けたときに足を乗せて、膝が腰より高い位置になる高さを確保できれば何でもOKです。
おそらく初回で変化を感じることでしょう。ぜひお試しください。
ここから先は
鏡のなかの言葉(定期購読)
映画監督松井久子が編集長となり、生き方、暮し、アート、映画、表現等について4人のプロが書くコラムと、映画づくり、ライティング、YOGA等の…
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?