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自分が選ばれなかったとき、私が考えること

「どうして自分じゃなくてあの人なのだろう」
「私を選んでくれなかったのはどうしてだろう」
「こんなに自分は頑張ったのに選ばれなかった」

こうした経験は何年経っても心の染みになっていて、
時に鮮明な記憶として思い出されてしまう。

悔しくて眠れなくなったり、ああ、自分は何もできない、必要とされていないのだ、
と極論を弾き出してしまったりする。

しかしながら極論を弾き出しても次の日には布団から出て
仕度をし、日常生活に戻らなくてはならない。


どうしても自分でなくてはならないのだ、
ということがゼロであればそのまま布団のなかで永遠に泣いていたい。

しかしながら布団から出て、今日という日を改めて始めなくてはならない人が大半だろう。

私だってそうだ。私が私の為にコーヒーを淹れなければ
朝ごはんを作らなければ、歯を磨かなければ1日が始められないようになっている。

大人になっているからだ。
でもどうしても心の染みが気になって気になって仕方がない。
そんな時もある。

この染みついた感情を少し、水で濡らしたフキンでトントンと叩くように
やっていることを書き出してみようと思う。

①全部をなるべく俯瞰してみる

自分が選ばれなくて、第三者が選ばれた状況、タイミング、期間、エリア
などなどいろいろと書き出してみると

「あんがい狭い範囲のこと」という事実に気付く。

箱を俯瞰するイメージ

俯瞰したものを「箱」だとする。
するとその箱の外にはもっと広い世界が広がっているし、自分にとって辛い心の染みはずいぶんと小さいもののように思えてくる。

また時間が経てば気にも留めなくなるくらいの話になっていたりする。
染みにばかりピントを合わせてしまっていて、
広大な、取り返しのつかない汚れのように感じていた気分が少し
「そうでもないかも」

と思う様になる。

②自分の解像度を疑ってみる

その人の立場そのものにはなれない

自分が選ばれていたとして、果たして役に立てただろうか。
そこら辺が意外と抜け落ちていることも多い。

私の中で「選ばれた人」という結果にだけ意識が高くなり、選ばれた「あと」のことを考えていなかった、というのは良くある思考パターンだ。

選ばれた人の立場になることは、選ばれていない自分には到底想像ができない苦しみ、プレッシャー、疲労感、軋轢、そのほかの犠牲、などなどが山積みかもしれない。

結果を評価したり、羨ましいと話すのは簡単だが
そこには「水面下の見えない努力」は加味されていないことも多い。

バレリーナのトゥシューズの中の指のように。

本当に自分の中の「選ばれた人」に対する解像度は高いだろうか。
そこを疑ってみる。
自分にはそれが耐えられるものだろうか、果たせる課題なのだろうか。
満足できる結果が出ただろうか。

想像してみることで、自分の想像で補えることがゼロ、あったとしてもわずかなことに気付く。

③ヒトは人、自分は自分、という基本に立ち戻る


それぞれ「いいね」は違う、それが普通。


自分を取り巻く物、ー何でも良い。コップやお箸、茶碗、イヤホン、日常生活で使う物
はどうやって今自分の元にあるのだろう。

もらったものもあるかもしれないが、とりあえず今この時に「使う」という選択をされ続けている物である。

壊れたり、趣味が変わったり、自分にはサイズが合わなくなったりした、
今まで身の回りにあったけど今は手放した物は「あるタイミングで選ばれなかった」物だ。

自分も日常的に選択を繰り返し、それをクリアしたもの達が今自分の側にある。
自分だって選ぶ側にいる、ということを思い出す。

どうしてこれを選んで、あれはやめたの?
といちいち聞かれたら答えられる時もあれば「特に、何となく」となる時もあるし
「今それを聞かれても答えられない」ということだってあるだろう。

自分が選ばれなかった理由だって、今はまだ理解できないことかもしれない。
ただ、自分は自分、他人は他人であり
それぞれ「選択」する行為は違っている。

その事実を確認するだけでも「そんなもんだよな」と心の染みについて少し距離を置くことができる。(かもしれない)


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以上、ー私が考える「私が選ばれなかったときにやっている染み抜き」である。

悔し涙や嫉妬心を否定したいわけではないが、
あまりの憤りに眠れなくなるよりは「染み抜き」というルートを取っても
いいかも、と私は考える。

大体、私の場合思い詰めるときは
眠れていない時や肉体的に疲弊しているか、お腹が空いている時だ。

余裕がないのである。
それに気付くためにも、3つの方法を用いて染み抜きを試みる。

あまり読まない雑誌を手に取ってみた

図書館に立ち寄った時だった。
普段購入しない様な、でも立ち読みしてみたいな〜みたいな種類の雑誌を読んだ。

年末なこともあって、いろいろな雑誌が「2023年のベストバイ」を雑誌の特集にしていた。

いろんな人がいろんな物を「これが一番」と話していた。
雑誌の意向もあるとは思うが、今その人が選ぶ物、買ってよかった!と胸を張って言えるもの

こんなにもたくさんあって、服もあれば雑貨も家電も、ー何なら「土地」もあって
様々だった。

きっとこの人たちにって2024年のベストバイはまた違うものなのだろう。
ここにこうして選ばれて載っている物だけが全てではないし、
私にとって「羨ましい!」と思う物もあれば

「うーむ、全然要らない」
と言い切れる物もたくさんあった。

世の中そんなもんだよな。と思う。

好きな飲食店に掲げられていた言葉
「全てはタイミング」

これ以上、この「選ばれた」「選ばれなかった」を考えなくする言葉があるだろうか。

全てはタイミングなのだろう。

そう思ってまた今日も一日を始める。自分のタイミングで。

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