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『マニラ–光る爪』 エドガルド・M・レイエス

 フィリピンは熱帯の多島海であり、めまぐるしく表情を変える褐色の美女だ。三月に訪れたときは、ビサヤ諸島の小島にあるビーチで遊び、マニラのショッピングモールで映画祭を観て、トンド地区のスラム街を歩いた。
 経済成長を遂げつつある若い国だが、そこかしこに貧困や犯罪などの社会的矛盾がある。島から島へ移動しながら読んだのは、エドガルド・レイエスの小説『マニラ—光る爪』。政治的にも文学的にも長らく列強に支配されたフィリピンだが、六〇年代後半になるとレイエスらはタガログ語文学にリアリズムを導入し、社会の不正や腐敗を描くようになった。

 失踪した恋人のリガヤを追って農村から出てきたフーリオは、建設労働の危険な仕事にありつく。仕事仲間は宿なしやスラムに暮らす貧困層ばかり。そんな中でも、人と人の関係を大切にする民衆の助けあい精神が描かれる。
 再会したリガヤは工場労働の紹介だとだまされて人身売買された挙げ句、中国人の愛人になっていた。その境遇から脱するべく、ふたりは脱出方法を相談するのだが…。

 私はスラムのスクウォーター(無断居住地域)に分け入りながら、バロン・バロンと呼ばれる板切れやトタンでつくった掘立小屋に、フーリオやリガヤの面影を求めてさまよい歩いた。工事現場のピンハネを「タイワン」と呼び、悪徳中国人が登場するなど、本書では経済界を牛耳ってきた台湾・中国系への反発が描かれる。
 マニラの映画祭で観た作品に、ラストで主人公が暴力に走る展開が多く、安易な物語展開だと眉をひそめた。ところが本書の結末を読んで、それが、人間関係や家族を大切にするフィリピンの民衆が、ストレスが極まったときに精神錯乱の形で怒りを表現する「アモッグ」であることがわかった。同じ多島海の社会に暮らす私たちにもキレやすい面があるのかもしれず、他人事ではない気がしたのである。
 

初出:「共同通信」

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