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葛西善蔵 『哀しき父』


太宰と葛西

太宰治に「善蔵を思う」という短編小説がある。太宰が『津軽』という小説で、葛西善蔵は「津軽出身の小説の名手」だと書いているように、葛西は同郷の先輩であると同時に文学上の先達でもあった。この「善蔵を思う」では、直接葛西について触れている部分はないが、太宰は自身と故郷の津軽との関係でおもしろい指摘をしている。
「私は故郷に甘えている。故郷の雰囲気に触れると、まるで身体が、だるくなり、我儘が出てしまって、殆ど自制を失うのである。自分でも、おやおやと思うほど駄目になって、意志のブレーキが溶けて消えてしまうのである」
これは太宰だけではなく、津軽出身の作家に共通なところがあるのではないか。たとえば、葛西善蔵の処女作「哀しき父」を読んでいても、どうしてこうも我ままが許されるのかと思うことがある。

哀しき父

主人公の「彼」は遠い故郷に四歳になる息子と妻を預けて、東京でひとり作家になるための修行をしている。母親からは手紙で子どもの洋服を送るようにと催促がある。
鎌田慧の「椎の若葉に光あれ」という評伝によれば、この頃の葛西善蔵は妻の実家から月に二十円から二十五円の仕送りを受けていた。鎌田は現代いえば、二十万から三十万くらいと推測している。「善蔵を思う」の末尾で太宰治は「哀しみは金を出しても買え」と書いたが、この言葉は葛西善蔵の創作姿勢をよく表していると思う。

ところで「哀しき父」で真っ先に目につくのは、意外にもオノマトペ(擬声語)である。靄がもやもや、自動車がガタガタなどはいいが、雀がヂュクヂュクと啼きくさり、金魚がしなしなと泳いでいるところなどは、この作家に特有の言語感覚がここに現れているようだ。
主人公の「彼」のことを作家とは呼ばずに「冷たい暗い詩人」としているのも、その辺と関係あるのだろうか。あるいは、日常生活や世俗的なものを切り捨て、求道的に身を削るようにして作を物すことを目指した葛西だから、雀は忌むべきものだったのか。

ユーモア性

「哀しき父」の四節で、彼は熱のために下宿に閉じこもるが、この部分では「哀しき父」という小説のドキュメンタリー性がよく発揮されている。おとなしい学生たち、安淫売が出入りしていた予備士官が梅毒で死ぬところ、隣室の病気がちな細君の咳の音など。
また私小説においては、作者が自己を客観的になるまで厳しく見つめることが常道だが、それが極限まで進められるとそこはかとないユーモアが漂いだす。崖上の墓地から大きな藪蚊が襲ってくるせいで、下宿の主人が死に、自室の前の住人も病気になったのではないか、と想像するあたりである。
若き詩人が見る夢もユーモラスである。
貧乏生活にもかかわらず、子供が二、三人増えていて、子供がムクムクと肥え太って、威張った姿勢で部屋のなかを歩いているというのだ。

父の哀しみ

母親から子供の洋服を送るようにと、催促があるくだりはあまりに哀しい。正月に子供へ足袋やマントや絵本を送ったところ、「お父さんから」といって子供が近所の人達に見せびらかし、父からの手紙を持ち歩いているという件がある。
故郷へ帰ろうかと思うとき、彼は子供のことを「大きな黴菌のように彼の心に食い入ろうと」すると酷いことを書き、「自分の道を求めて、追うて、やがて斃るるべき」彼は、結局、子供が「直接の父を要しないだろう」と退けてしまう。「彼の死から沢山の真実を学び得るであろう」と達観しているところが凄まじい。いわば小説家・葛西善蔵の決意表明である。葛西の文学は、あらゆる世俗的な道徳や価値を退けるところから始まっており、「哀しき父」で示されたものが葛西の文学的な生涯における主要なテーマとなっていくのである。


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