地テシ:277 松田青子「スタッキング可能」と隅田川についての勝手なレポート
劇団☆新感線「薔薇サム2」の稽古も最終盤。本番が始まれば富山→新潟→大阪と旅公演が続きます。もちろん、合間にはちょこっと東京に戻りはしますけど、そんな頃合いに心配になるのが「旅ゲーム」ですよ。
今回はどのハードをお供にするのか。そしてどんなソフトを買っておくのか。いよいよ決めなくてはならない時期になってきました。いや、そんなコトよりも、そんな心配よりも、今の私が集中すべきは稽古なんですけどね。ま、それはそれとして、旅の準備も必要なのですよ。
さて、ココ数回は私の(フィールドワークという名の)散歩趣味と(SFを中心とした)読書趣味が交互に出てきたような日記でしたが、今回はその両方を混ぜ合わせたような内容になっております。
いや、それほど大層な話でもないんですけど、いわゆる聖地巡礼のような、いや違うな、聖地でも何でもないけど、気になる記述に出会ったので確認しに行ったってだけの話を書きますよ。
今年の頭、フラッと入った書店でオススメとして平積みになっていた文庫本が、なんだか可愛らしくて謎めいたカバーイラストと、なんとも不思議なタイトルでして、ついつい手に取って何の予備知識もなく買ってしまいました。
それは河出文庫から出ている松田青子さんの「スタッキング可能」。
2016年発売の文庫本が何故今ごろ平積みになっていたのかといいますと、松田さんの短編集「おばあちゃんたちのいるところ」の英訳版が、2021年11月に世界幻想文学大賞の短編集部門を受賞したからのようです。帯にも祝受賞の文字が躍り、「世界で注目を集める松田育子の記念碑的デビュー作」と書いてありました。受賞を機会として過去作が注目されつつあるようです。なるほど。それで今になって話題になっているのだな。
しかも、調べてみると松田さんはかつて、京都の劇団であるヨーロッパ企画に在籍して役者やスタッフをしていたとか。知り合いも多い劇団ですので、なんとなく親近感も涌きます。
演劇関係者ということもあってか、文章がリズミカルで読みやすい。なんていうか、声に出して読みたくなるようなリズムなんです。私も文章を書く時にはリズムを気にしますし、声に出して読むことも想定しています。想定しているというか、頭の中で完全に音読しているんですよね。読点が多いのもそのせいだと思います。松田さんの場合がそうかどうかは判りませんが。
表題作の「スタッキング可能」は、初めのうちはよくあるジェンダー論やオフィスあるあるかと思って読んでいましたが、読み進める内にそんな軽い感想がどんどんと凌駕されていくのですよ。配属部署のチームリーダーがオランウータンだったり、先輩社員の能力を「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドになぞらえたり、川から虹色の河童が手を振ってきたり。
オフィスに、人間関係に、家族の死に、色んなコトに馴染もうと悪戦苦闘している普通の人々の物語。私の、そしてあなたの物語。そんな取り替え可能な人々の物語。そして、肌にヒリヒリとした、切実な人生の物語。
短編ではありますが、普通の日常の圧迫と反発がなにやらグッとくるようなフワッとくるような、妙な読後感を醸し出します。
そんな表題作以外にも、まるで漫才のような素晴らしいテンポで押してくる「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」三連作や、素敵と醜悪の紙一重感が物凄いリズム感で襲ってくる「マーガレットは植える」なども収録された、不思議な感触の短編集でした。とにかくリズム感がいいんだよね。
いや、読後の感想はいいんです。いや、感想も大事だし面白かったのも本当なのですが、それよりも今お話ししたいのは、この小説のある風景の描写についてなのです。
なお、ここから先には松田青子著「スタッキング可能」(河出書房新社)の河出文庫版の30~32ページ、及び65ページよりの抜粋を含みまして『』に括って記述してありますことをご了承下さい。
ある主人公、といってもこの小説の主人公は不特定多数ですので、ある語り手がと書いた方が正確なのですが、自分が務めている会社の周りを散歩する描写が出てきます。
その箇所に差し掛かった時に「おや、この場所知ってるような気がするぞ」とか思っちゃったんです。川沿いに歩く風景がやけに細かく描写されているので、ここはあの場所じゃないかなとか思っちゃったんです。
そのまま読み進めると、主人公が(別の語り手なんだけど、不特定多数だからいいんです)勤務先最寄りの駅で電車から降りる描写がありまして、『改札を抜け、動く歩道の上を』とあり『空港への直通バスが出るターミナルがあるので、この駅にはこれがある』と書いてあります。うん、これは東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅だ。たぶんそうだ。と思う。
もちろん松田青子さんは架空の駅の設定で書いたのかもしれませんが、まあそれはそうだとして、ここが水天宮前あたりだと仮定して小説内の散歩を再現すべく散歩してみたくなるじゃないですか。なりませんか。そうですか。
まあ私が散歩してみたくなったのですからしょうがない。そんなこんなで隅田川あたりを散歩したのが今年の1月頃ですから随分と時間が経ってしまいました。
事の発端は『階段の窓からはジャンクションが目の前に見える』という一文でした。この後『ジャンクションはD田のいるビルの横をなだらかなカーブを描きながら右方向に逸れ、それから大きな川の上を通過する』と続き『大きな川にかかった大きな橋がちょうどジャンクションの真下にあり』と書かれています。
実を言いますと、高速道路の真下を大きな橋が併走するという箇所はそう多くはありません。しかも『橋を渡りながら左手を見ると、遠くに完成したばかりの、世界一高いらしい電波塔が見える』のであれば、これはやはり隅田川大橋なのではないでしょうか。だからどうだと言われても困るのですが、そうだと仮定して話を進めます。
この後、橋を渡りきって川沿いを歩きます。私の想定では隅田川大橋を西から東に渡りきって、隅田川の左岸(東側)を川沿いに南下します。
川沿いに南下して、次の橋である永代橋に差し掛かります。
『そのまま進んでいくと、中くらいの橋が近づいてくる』
『この橋は渡りたい。一回でも多く渡りたい。この橋が大好き』という橋は、私の想定では永代橋でして、国の重要文化財にもなっている名橋です。
『左手を見れば、川が二手に分かれていく。あの川と川の間にある場所にいつか行ってみたい』
この後、橋を渡りきって道路を渡り、今度は右岸(西側)を北上します。つまり元の方へ、会社の方へと戻ってきます。
わずか3ページほどのシーンだし物語の本筋とは何も関係はありませんが、やけに詳細に、しかも具体的かつ詩的に描写されていて、その風景が思い浮かんでしまったのです。ええと、その、つまり私にとっては水天宮前あたりの隅田川が思い浮かんじゃったのです。
そうなったら気になっちゃうじゃない。確認したくなるじゃない。だから確認に行ってみたというワケです。
実際に行ってみて改めて確認したことで私の気はあらかた収まりました。あらかた収まりはしたのですが、ただ一つ心残りだったのは永代橋を渡りきった時に描かれる『コンベアベルトと書かれた白いビルがある』という一文です。
いくら永代橋西詰めを見渡してみてもコンベアベルトと書かれた白いビルが無いのです。ううむ。このビルが見つかれば私としては気分が良いはずです。あくまで私の気分の問題なのですが。
ここで私の確認作業は終わるのか。終わってしまうのか。私の独りよがりの探索とはいえ、ここで終わってしまってはどうにも収まりが悪いぞ。
ここで、ひょっとしてと思いついてGoogleMapのストリートビューを覗いてみました。今やデジタル時代を代表するオンラインマップであるGoogleMapにはストリートビューという道路沿線の風景を確認できる機能がありまして、しかも、ある程度過去の風景も確認できるのです。
永代橋上のストリートビューに行って、左上のメニューから過去の風景写真を遡って見ると、2015年4月以前の風景には永代橋西詰めのビル屋上にバンドー化学さんの「バンドーVベルト」という広告看板が掲げられていました。
https://goo.gl/maps/EXWNLhwSkHRyfKFP9
コレか! コンベアベルトじゃなくてVベルトだけど、コレかな? 違うかもしれないけど、たぶんコレだと思うんですよ。
Vベルトというのはエンジンなどの動力の回転を無駄なく伝達する為のゴムベルトのコトでして、ますますコンベアベルトとの違いがハッキリしてきましたけど、ベルトという部分では同じです。同じなんです。
もういい! 私としては、もうコレでいい! 気が収まりました! 私の中では「スタッキング可能」の主人公は隅田川大橋のたもとの会社に勤めているんです。そして永代橋が大好きで、よく隅田川を散歩しているんです。そういうコトにしておくんです。それでいいんです。
そんなこんなの隅田川散歩。半年以上に渡ってずっと書こう書こうと思っていた記事が書けて私は満足なんですが、実を言いますと今の私は「薔薇サム2」の稽古で天手古舞いなんです。稽古の大詰めなんです。永代橋の西詰めになんか拘っている場合では無いのです。「詰め」で韻を踏んでいる場合でも無いんです。
ええと、皆さんも気になる場所があったら散歩してみるといいよ、というのがまとめでして、これだけ引っ張っておいてそんなまとめでいいのかよとか思いますが、気持ちに余裕がある時にエイヤッと出掛けてみると面白い発見がありますよってコトが言いたかっただけなんでコレでいいのです。
では、また来週。