■ストレートな言葉の重み
「詩の本」を読んで(30)
どこかの週刊誌か新聞の書評を読んで初めて存在を知った詩人である。
2019年に92歳で亡くなった放浪詩人の著作2点。エッセーが中心で、詩は少ないが、いずれもその戦中、戦後の生活体験からにじみ出た内容である。「木賃宿に-」は絶版だが、復刊された「放浪の唄」ともども図書館で借りて読んだ。
先に、相田みつをのことを「■平易であることの、どこが悪い?!」と書いたが、この放浪詩人も難しい表現は詩、エッセーともない。
熊本、福岡など主に九州各地を、本人曰く「ぶらぶら」と「ぼんやり」と生きてきたことを、方言を効果的に使って生き生きと描く。
◇高木護「放浪の唄 ある人生記録」(虹霓社、2022年5月刊)
内容
◇高木護「木賃宿に雨が降る」未来社、1980年2月刊)
木賃宿――から、詩を書き記す。
70年以上前、戦後間もないころの地方の生活が今想像できないほどの貧しさが、この人が書くようなことが、あったのかな…。きっとあったのだろう。
この詩人は、100を超える仕事に就いたという。「放浪の唄」の復刊にも関わり、生前の高木と交流があり、その話を聞き書きした「昭和の仕事」という本を書いたのが、ノンフィクションライターの澤宮優。「放浪の唄」には、澤宮が書いた高木の人物像も書かれている。
「放浪の唄」からも、一編を書き写す。
僕の手持ちの、昭和時代の詩のアンソロジーにも収録されていない詩人だが、分かりやすい言葉でストレートな気持ちと、時代の空気を写し取る詩は、机上でひねり出されたような現代詩より、100倍よい、とだけ言っておこう。