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人の幸せを願う、嫌いな人の幸せも
自分の幸せは当然ながら、他人の幸せも願います。
嫉妬心の強い人はしないようですが、一般的に人の幸せは願うものです。
〇どんな人であっても幸せを祈れるか
家族や友人、好きな人達の幸せは祈ります。幸せそうな姿が、こちらに幸福感をもたらしてくれます。
さらに時として、見ず知らずの人であっても、幸せそうな姿は元気をもらうこともあります。うれしさが伝染します。
一方で近年の私は、徐々に、苦手/嫌いな人が減ってきています。年齢を重ねたからでしょうか。日常生活で、会うことも少なくなりました。
だいたい皆さん愛おしい存在に思える、そんなところです。
しかしそんな矢先に、久しぶりの感情が芽生えました。超苦手な人。
相変わらずな態度に心が揺れました。
人は、相手がどんな人であっても幸せを祈れるでしょうか。
〇嫌いな人の幸せを祈る
横柄で傲慢で自分中心で不機嫌。こんな人は誰でも嫌ですよね。
今回仕事でしたが、その態度にイライラしました。不快感が持続し、その後も(会っていない時でも)思い出している自分がいました。
そんな時に「この嫌いな人の幸せを祈れるだろうか」とふと考えました。
なかなか難しい…これが正直なところ。
幸せそうな姿を見ても喜べません。
なんてったって苦手/嫌いな人ですから、生きるにしても勝手にしてくれ、と思うだけです。
〇祈ればいい
その人の取る態度には理由があります。不機嫌さも、こちらへの甘えです。
私の何かが悪いのか? 心が折れそうになりましたがアドラー心理学を思い出しストップ。
最初はモヤモヤが止まりませんでしたが、その人も自分の幸せのために生きているので、とりあえず祈りました。
どうか幸せになってください。
そのままでは、全然もたなかったので、一部を変更。
「どうか幸せになってください。(私の知らないところで)」
続けていると、ずっとくすぶっていたマイナス感情が消え、さらにうまいことその人の存在を忘れていることに気付きました。
いざ、幸せを祈ってみたら、心に平安が訪れたのです。
以前、友人が事件に巻き込まれた時に、「罪を憎んで人を憎まず。そして犯人の幸せを祈る」と言っていて、そんな”仏”のような心を私は持てないと思ったのですが、これと似た感情なのだとわかりました。
どうか幸せになってほしいと願うだけ。
嫌いな人、苦手な人にも祈ればいいのです。
祈るのは相手のためというよりも、自分のため。
心が穏やかになるので、ぜひ実験してみてほしいと思います。
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