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喜怒哀楽を出すこと
今日は水曜日。
今週はまだ終わっていませんが、疲れた一週間でした。
感情面で特に。
今週だけでなく、ここまでの3週間。
先々週から、試されているような出来事があり、
先週は感情が揺さぶられて大泣きし、
今週は、ヤキモキ。怒りもありました。
喜怒哀楽が詰まった3週間でした。
○感情を表に出すか
私は未だに人前で、泣いたり、喜んだり、怒ったりと感情を外に出します。
3週かけて今週ようやくわかったのですが、どうやら世の中には、私のように感情を表に出す人ばかりではないということです。
稀なのか?
みなさん‘大人らしく‘感情を抑えているのです。
私もできればそうしたいけど、でもあふれる涙は止められない。静かに涙を拭きます。
何度も、私一人だけ子供みたいでバカみたい…と感じたこともありました。
そんなこと言うとこの話に戻りますが。
素直は損するのか。
感情を出さない方が得。
“この人何考えている“とバレなくて、その方がメリット多い。
それがわかっても、自分はそうなれない…実感しました。
〇感情アウトプット型で感情シェア型
そういえば、昔からそうでした。
嬉しいこと、悲しいこと、怒りたいことがあればそのまま出す感情アウトプット型。
また仕事では、共に喜び、共に泣きたいと思う傾向が強く、
みんなにとって良いことなのか、悪いことなのか、嬉しいことなのか、悲しいことなのか、そんな中で、自分はどう感じるかをそのままに言葉や態度をアウトプットしてきました。
共に、目標が達成できた喜び
共に、亡くした悲しみ
共に、感じた理不尽には怒りを。
感情シェア型です。*今作った造語
私なりに感情を表現してきました。わざとするつもりでしているのではなく、自然とそうなった結果ですが。
そんな中で、思い返せば、感情シェア型(希望)なのに、仕事仲間と感情をシェアできた場面が少ない…
みなさん大人なんですよね。
〇感情の選択
出来事はひとつに対し、人それぞれの受け取り方が違います。
自分の選択で感情を選んでいると言われています。
だから仮に同じ場面に遭遇しても、同じ感情を持つとは限りません。
自分で選んでいるとしたら、私は大人らしくスマートになりたいけど、感情をアウトプットすることを選んでいます。
これだけはどうしても変えられない。
それでなければ、生きていけないんだと思います。
まさに私の自我が生きるか死ぬかの重要なことなんでしょう。
それならば、私は好きに出そう、と思いました。
〇最後に
シェアできなかった感情を、後日共感してくれる友人には感謝しています。(友達っていいもんですね〜!)
今回も話すのかな。
ところで、いつも穏やかに過ごしているので、感情の動きがあると密かに「やった♪noteにどう書こう?」とネタの登場を喜びます。
ところが、今回は、
喜びも
怒りも
哀しみも
楽しいことも
ありましたが、詳細が書けない!書けないこともあるんですね。
これをじゃあ内容書かずにどう表現するんだというところですが、内省してみました。
抽象的なところで、喜怒哀楽の話でした。
以上、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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