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24歳の誕生日に適応障害と診断されてから1年間の記録

私は誕生日を迎えて25歳になりました。
昨年、24歳の誕生日に適応障害と診断されて休職することになりました。

抑うつ状態、希死念慮、不安感、焦燥感に襲われる毎日でしたが、この日々をようやく振り返ることができるまでに回復したので今日は適応障害経験者としてこの1年間の記録をここに残しておこうと思います。

参考になる部分、ならない部分あると思いますが、すべて私個人の経験と感想です。医療機関からの情報ではないのでそこはご注意ください。

あくまでこんな過ごし方をしていた人がいるんだなくらいに思ってもらえれば嬉しいです。


違和感の始まり

仕事は大変でしたが、学生時代は体育会系の部活に所属していたこともあり、あの頃の方が辛かったと思えていたのでまさか体調を崩すなんて思っていませんでした。

違和感を抱き始めたのは病院に行く1ヶ月前くらいでした。最初は夜にちくりという心臓の痛みを感じていました。

それから1週間ほど経ってしんどいという気持ちを明確に認識しました。夜も心が落ち着くまでずっと起きていました。22時頃には目を瞑っていたのにそれが24時、25時、26時とだんだん寝れなくなる日が続きました。

この頃から朝ごはんを食べようとしても喉を通らなくなりました。比較的食べやすいはずのヨーグルトとフルグラでしたが、食べられなくなりました。

実家に帰ると少し心が落ち着くことがありましたが、心が苦しいことを話そうとすると泣きそうになるので家族にも話すことはできませんでした。

それから会社が提供しているサービスを使ってチャットで医師に相談しました。「日常生活に支障をきたしていると言えるので受診をおすすめします」とのアドバイスを受けましたが、実際に病院に行く決断ができませんでした。

それは人前で大丈夫なふりできていたからでした。人前で大丈夫なふりができているから私はまだ大丈夫なんだと思って無理をしていました。

実際は大好きだった読書をしても内容が頭に入ってこなくなりました。大好きだったバラエティー番組を見ていてもぼーっとしてしまうようになりました。家に帰ると、突然あーっという風に叫びたくなってそれが落ち着くとぼーっと抜け殻みたいになる状態の繰り返しでした。

誕生日の3日前、引き継ぎ案件で私が全てを担当していた訳ではないのに説明責任だけは求められたことが引き金になりました。

普段はそのようなことがあっても対応できるのに無理になってしまいました。歩道橋の上から走っている車を見下ろして飛び降りたら死ねるのかな、お風呂場でリスカットすれば死ねるのかな、湯船に溜まった水を見て窒息死できるのかななんて考えていました。

その日の夜、政府が支援しているLINEで自殺防止の相談ができるサービスに縋ることにしました。しかし、緊急性が低いと判断されたのかなかなか取り合ってもらえませんでした。

そこで急に冷静になって、医療機関に頼ろうと決心しました。しかしその日は金曜日だったので月曜日になったら心療内科に電話をかけよう、そう心に決めました。

適応障害と診断された日

その日は朝から近くの心療内科に片っ端から電話をかけました。多くの病院は新規の診察受付は1ヶ月後になります、と言われました。しかしこの状況の私を1ヶ月放置したら死んでしまうと思ったので必死に電話を繰り返しました。

幸運なことに今日なら新規の診察の空きがあるという心療内科が見つかったのでそこで診てもらうことになりました。

病院に着くと、紙に書かれたいくつかの質問に答えました。どんな症状があるか、思い当たる原因はあるか、というような感じでした。

しばらく待って診察を受けました。自分の症状を直接話すことは初めてだったので思わず泣いてしまい上手く話せませんでしたが、先生は急かすこともなくゆっくりと私の話を聞いてくれました。

診断は適応障害ということになりました。

先生からはこのような症状が出ている人たちは仕事を休む人が多いですがどうしましょうかという話をされて初めて休職という選択肢を考えました。

このまま仕事を続けられるとも思えなかったので診断書をもらって休職することにしました。

病院から帰ってきて初めて家族に現状を話すことができました。どのような反応をされるかとても不安でしたが、家族は優しく温かく受け入れてくれました。

気がつかなくてごめんね、とも言われました。

家族の力も借りて、メールにて上司に休職の報告をしました。上司の側からしても寝耳に水だったと思うのでとても驚いた、気がつかなくて申し訳ないという返信が返ってきました。

私はあんなに苦しかったのに、周りから見たら大丈夫な私をずっと演じることができていたんだと感じると、私はこのまま休んでもいいのかという不安に襲われました。

そんな不安と共に私の休職生活は幕を開けました。

1ヶ月目〜3ヶ月目

休職したからといってすぐに休めるというわけではなく、会社の引き継ぎをしなければなりませんでした。

いくつか案件を抱えていたのでメールや電話対応をすることがとても苦痛でした。通知を見るたびに追い込まれた気持ちになってとても苦しかったのですが、無事に引き継ぎと休職手続きを終えてこれでようやく休めることになりました。

病院で診断を受けたからといって、休職できたからといってすぐに楽になるわけではありませんでした。

相変わらず心は苦しいし、食事も喉を通らないし、よく眠れないしという三拍子でした。

病院の先生からは散歩に行くことは良いとのアドバイスを受けていましたが、外に出ることや人に会うことが極端に怖くなっていました。

親戚や知り合いに会って、今の状態を説明する状況を想像しただけで動悸が止まりませんでした。

外から人の声が聞こえるだけで怖くなって毛布にうずくまっていました。

その状態が続いていたので私はお薬をもらうことになりました。睡眠薬と抗うつ剤を服用することになったのです。

最初はこの先の人生お薬に依存して生活してしまうのではないかという不安からお薬を服用することに否定的でしたが、今を生きないと未来はないとの考えからお薬にも頼ることにしました。

薬を飲んでもすぐに良くなるわけではなかったので、だんだんと量が増えていったときはとても不安でした。しかし、ある一定の量で安定してきたので安心しました。

この時期はとにかく「何もしない」ことを実践しました。「何もしない」ことは想像しているよりも難しかったです。何も生産していない私は無価値なんだという考えが頭から抜けずに無駄に動いて余計に苦しくなることを繰り返していました。

ご飯を食べて、しっかりと寝て、何もしない、

この3つを意識して繰り返した結果、ご飯はちゃんと食べれるまでに回復しました。睡眠は相変わらず不安定でした。

4ヶ月目〜6ヶ月目

食事はきちんと取れるようになっていましたが、短期睡眠を繰り返して日中の間ずっとぼーっとしていました。

起きては寝て起きては寝てを繰り返していました。それがとてもストレスに感じていたのですが、1日を通じて睡眠が取れているのなら問題はない、という先生の言葉のおかげで少しは楽になりました。

相変わらず外に出ることや人に会うことは怖かったので、友達にも会わず、親戚の集まりにも行けずに引きこもり状態になっていました。

他の人から連絡が来ることも怖くなっていたので、数人の大切な人を除いて連絡先を消してしまいました。今思うと少し後悔しているのですが、あの時の私の心を守る行為だったので仕方ないと感じています。

この頃から家事はできるようになりました。朝起きて洗濯を回して、朝ごはんを食べて、横になって、洗濯を干して、横になって、家族が帰ってくる前に夕食を作るというルーティーンが出来上がっていました。

家事ができていることはすごい!と先生から褒められたことが嬉しかったです。

引きこもり状態ではありましたが、家の中では少しずつ活動ができるようになっていました。

この時期に退職するか復職するかという選択を会社から迫られたので渋々退職することに決めました。

これにて休職期間は幕を閉じて、無職の期間が始まります。

7ヶ月目〜9ヶ月目

この頃から少しずつ回復してきたという感覚が強くなってきました。本も読めるようになりましたし、バラエティー番組を見て笑えるようにもなりました。

隔週で図書館に通うになってからは少しずつ外に出ることができるようにもなりました。

相変わらず人に会うことは怖かったのですが、友達にお願いをして月一の電話で家族以外の人と話をする練習をしてもらいました。

元々話しやすかった人ではあったものの、人と話すことは怖くないという思考を少しずつ固めることができてきました。

短期睡眠は相変わらずではありましたが、日中に寝込んでしまう時間はかなり減りました。抑うつ状態や希死念慮に襲われる回数も段々と減ってきました。

段々と元気になってきたのに私は今いったい何をしているんだろうという気持ちが芽生え始めていました。

しかし「焦らずゆっくりと自分のペースで回復する」ことを決めていたので周りに流されずにこのままの回復ペースを保つことにしました。

10ヶ月目〜12ヶ月目

この頃からようやく人と会えるようになりました。親戚と少し話をしたり、久しぶりに友達と会う約束をして遠出したりしました。

外に出て軽い運動をできる日も増えてきました。

心が元気になったから、人に会ったり運動できるようになったのか、逆なのかは分かりませんが、人と会ってお話しすることや軽い運動を行うことは心の健康を保つために必要なんだなと感じました。

外に出ることも出来て、人と話すことも出来て、抑うつ状態や希死念慮が顔を出す機会が極端に減ったので、ようやく社会活動を再開させることを考える段階に到達できました。

かなりゆっくりゆっくりと進んできた自覚はあるのですが、1年かけてようやく元の場所に戻ってこれたという感覚があります。

終わりに

前にいた会社は退職してしまったのでこれから転職活動が待っています。その過程でまた状態が悪化する可能性はあるのですが、一年前の私と比べると大きな変化です。

同じ適応障害とはいっても人それぞれ細かい症状は異なるし、回復方法はさらに人それぞれだと思います。

今回の私の回復過程の記録が実際に早いのか遅いのかどうかは分かりませんが、どうか焦らずに自分のペースで回復の道を歩んでいってほしいなと感じます。


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