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オペラ座の地下、すなわち沼

私には、15年来の愛する人がいる。
出会いは12歳の時。TVの金曜ロードショーで。

フランスのミステリ作家ガストン・ルル―が執筆し、アンドリュー・ロイド・ウェーバーが作曲しミュージカルに仕立てた物語「オペラ座の怪人」である。

きらびやかな装飾、ストーリー、人間が作ったとは思えない美しい旋律。(そしてこの音楽を演奏している人がいる…!!)
私は恋に落ちたような衝撃を受け、この音楽が、ストーリーが、世の中に生み出されたことを、心底有難く思った。

当時は、あの映画をもう一度観る方法はなかったが、私は頭の中で映画の断片を、音と画像付きで何度も何度も再生し続けた。

それ以前にも十分夢見がちな少女だったはずの私の”夢見”に、ますます拍車をかけたのは、間違いなく「彼」だ。

今となっては恥ずかしい話だが、私は自分にも「音楽の天使」が現れて、歌えるようになるのだと本気で思っていた。
中学生の時分、昼休みの音楽室で行われた涙ぐましい歌の特訓は、友達と、控室にいた音楽の先生を呆れさせるだけの結果に終わった。
が、それにしても。

「彼」は一度去ったように見えても、また戻ってくる。必ず。
何しろ「オペラ座の怪人はそこにいる 私の心の中に」。
私は一生、「彼」から離れられない運命なのだ。

私は時々、地下室に潜っていく。
そういう時、現実の世界は色を失い、意味を失い、私の身体は仕方なしに両の足を引き摺って歩く。物語の中で生きられない自分の身を呪う。
他人の目には、私がただぼんやりしているに過ぎないように映るだろうが、それは違う。
私の中では感動が渦巻き、すぐにでも現実を棄ててその中に身を投じたいと切望しているのだ。「オペラ座の怪人」の物語の中に。

一度潜ると、沼の底に着くまで戻ってはこられない。(そう、この沼には底がある。そのおかげで私は、かろうじて現実を生きていける)
やがて現実の光が、私にかかった魔術を解く。仄暗い金色の光に包まれた地下室から、私は出ていく。

私は最近まで、クリスティーヌがエリック(ファントムには名前がある)を選ぶエンディングならどんなによかっただろうと思っていた。
取り残されるファントムを思うと、胸が押し潰されそうだったのと、もう一つ理由がある。
クリスティーヌにとって、ラウルを選び、エリックの前から去ることは、オペラ座から離れること、歌を手放すことであるようにも思えたからだ。(私はクリスティーヌに歌っていてほしかった!)
そしてラウルの愛は、エリックと対照的に実質的すぎるように思え、幼かった私にはあまり魅力的には映らなかった。

ところが先日、初めて映画館で「オペラ座の怪人」を観る機会を得た。(言うまでもなく、この日から私は再び沼にはまった)
私は初めて、ラウルの魅力に気付いた。
彼には体温があり、自由があり、生命力に溢れていた。"All I Ask of You"にじんときた。(もちろん、だからと言って、エリックの魅力が減るわけではない。また安心して沼にはまっていける)

私には長い間、「オペラ座の怪人」について愛を語り合える友人がいなかった。
映画を初めて観た後しばらくして手に入れた映画のサウンドトラックCDも、納戸の中で一人聴いていた。(何となく、人に聞かれてはいけない音楽であるような気がしたのだ。それくらい、私は「彼」を崇拝していた)

このたび、公に「沼」を語ってもよいという免罪符のもと、「彼」について書けたことは、とてもありがたいことだった。願ってもいない機会だった。

絶賛沼にはまっている最中の現在、私はできればクリスティーヌの楽屋に住みたいと思っている。

#オペラ座の怪人 #ミュージカル映画 #アンドリュー・ロイド・ウェーバー #沼落ちnote
#ハマった沼を語らせて


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