七の場所
『第七官界彷徨』で町子が探している「第七官」とは一体何なのか。あるいは、どこなのか。
テクストにも書かれている通り、町子にも「第七官」の正体は分かっていない。(あるいは、作者の意図によって「知らないふり」を決め込んでいるのか)
翠の生家である西法寺の元住職・山名法道は、「尾崎翠と仏教思想」として、興味深い考察を行っている。
『第七官界彷徨』の中で一助の言う「患者の識域上に在りて患者自身に自覚さる」表層心理は、ここでいう一官~六官にあたる。
「第七官」にあたる末那(まな)識とは、これらの深層心理にあり、自我・自己愛などをつかさどる心であり、よく生きるためにはこれを抑えなければならないとされる心理である。仏教の教えの中ではあまり良くない印象に見える。
また、尾崎翠の創作ノートには以下のような記述がある。
翠がフロイトの精神分析に強い興味関心を持ち、幾冊かの本を読んでいたことも、「第七官」を考える上で重要だ。A助とB助のくだりは、このフロイト の心理学に近い内容といえる。
だが、二つ以上の感覚がばらばらにはたらく「第七官」は、識域上下に断絶できる感覚ではなく、それらの境界が曖昧な、むしろ重なり合ったものらしい(だから翠の描く「官」能だって、一筋縄ではいかない)。
「こんな広々とした霧のかかった心理界が第七官の世界というものではないであろうか」「ニつ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感」
究極的には、肥やしと鍋のあんこが同一視されてしまう、二人の人間が一つの影に収斂されてしまう。それが「第七官」という、不思議の世界なのだ。
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