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川の流れのように生きていく
私には、人生で一つだけ信念がある。
それは、「川の流れのように生きていく」ということ。
昔は、「生きにくい」と常に思っていたけれど、今は、不思議と、心から「人生は楽しい」と思える。
昔の方が、志高く、努力も人一倍していた(つもり)と思う。しかし、「報われない」と感じていたし、実際に、大事なところで失敗をしたり、誰よりも外れクジを引いたり、とにかくツキがなかった。
思い返すと、昔は、「川の流れにそむいてでも、自分の人生を思い通りにすること」に躍起になっていた。
でも、ある時、ふと、「こんなに頑張って、ツキがないなんて、馬鹿くさい。もう辞めよう」と決めた。
「辞めよう」といっても、人生を諦めたわけではない。
与えられた環境で、肉体で、知能で、最善を尽くし、目を閉じて、直感で良いと感じる方へ、ただ一歩一歩進むことで良いと決めた。
一歩先なんて、わからない。次の瞬間、自分の身に何が起こるかなんてわからない。
それならば、予見できない未来なんて予測するだけで無駄であると気がついた。
そこからは、自分で自分をがんじがらめにしていた「〇〇すべき」という考え方を捨てた。
人に迷惑をかけない行動なら、興味のあることは全て手を出し、嫌な時は勉強もしないし、その日ふとやりたい、食べたいと思うことに耳を傾けるようにした。
「〇〇すべき」をこなしていると、自分の小さな小さな内なる思いや願いを聞くことができなくなっていることが多い。
自分の小さな願いや想いを無視し続けると、その蓄積で、心は冷えて、麻痺している状態になる。そして、その危機的状況に自分自身が気がつかないことが怖いところだ。
ここ10年くらいは、心の赴くままに、直感を信じながら、自然な時の流れのままに生きている。
自分の心に手を当てて、想いを聴き、それを叶える努力をする。
その積み上げの結果を敢えて予想しない。
そうすると、不思議と、強張った笑顔がほぐれ、頑なだった心の氷が溶けて、人あたりが良くなったり、雑念無く仕事や勉強に身が入るようになる。
「ツキ」は不思議とついてくるものだ。変なプライドなど無く人に接すれば、人は心を開いて自分に可能性を見出してくれたりすることもある。「この研究チームに入らないか」とか「この仕事をやってみるか」など、機会をくれたりすることもある。
「この人に勝ちたい」とか「こんな名声をあげたい」とか雑念がある時には感じられない、奥の課題や本質に自分の全てを掲げられるようになり、結果、ライバルと一味違う意見や仕事ぶりを発揮したり、良くも悪くも、誰のコピーでもないオリジナルな意見や提案ができたりもする。
人生は、残念ながら自分の思い通りにはならない。
それを認めてしまった方が楽だ。
しかし、不思議とそれをあっさり認めて、「さて、今の自分に何ができるか」と一歩一歩始めると、何かが見えるから人生は面白い。
自分が興味あることを自分のペースでコツコツ積み上げる。その先のことは、考えない。
「お金持ちになりたい」
「名声をあげたい」
「人から尊敬されたい」
このどれもが、どうせコテ先で叶うものではない。であれば、自分の本当の心の内の些細な願いに耳を傾けて一つ一つクリアしていけば幸せだ。
どうせ100年後には、私たちの殆どがこの世にいないのだ。
一番身近な「自分」の声すら聴けない人間に何ができるだろうか。
自分や家族や友人、同僚、SNSで繋がってくれている人達。そんな近い人達と幸せを共有できればそれで良い。
積み上げた先が、どんな結果であっても私は後悔しない。人生のミッションは、実にシンプルだ。
「川の流れに身を任せ、できる努力を続ける」
どんなに足掻いたって、育った環境は変えられない。過去は変えられない。だったら、その「川の流れ」に身を任せよう。
どんな川だって、必ず海に繋がっている。流れに抗うのではなく、上手に下っていくのだ。
しかもその方が、大きな願いも叶いやすいと思う。
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