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[お鮨の歴史] 今の食事情は文化で分かる

お鮓、お鮨、お寿司、お酸し

 みなさんが普段見慣れている「オスシ」はどんなものでしょうか?
握り寿司といわれる魚の切り身を酢飯の上に乗せたもの、仕込んだ魚で酢飯を包んだもの、魚の切り身と多彩な具が酢飯に乗っかっているもの、仕込んだ魚が木枠で押され酢飯と一体化しているもの、漬けた野菜で酢飯を包んだもの、海苔で巻いたり、油揚げに入れたり、はたまた酢飯の無いものまで、本当にいろんな「オスシ」が世の中にはあります。
また、子供から大人まで、日本のみならず世界中の人が好きという謎の食べ物、オスシ。

「いったい、オスシって何なのよ?」
結論からいうと、上記のモノはすべてオスシです。
原点は ”あるもの” から出来た魚を主に使った漬け物風食べ物です。
”あるもの”とは、塩漬けの魚と蒸したお米、それから出来る乳酸菌です。
塩と魚のタンパク質、ご飯のデンプン質で乳酸発酵が起こり、骨は柔らかく身は分解され旨味と独特の風味を作ります。乳酸菌による酸味が防腐剤の役割となり長期保存を可能にするだけでなく、人々を魅了する「酸っぱい」というアクセントを作ります。
「オスシと言えば酢飯でしょう」に使われるお酢とは乳酸発酵による酸味を即興で真似る、代理調味料なんです。

似たものには魚や肉を塩漬けにし発酵させる塩辛があります。違いはご飯を使わないこと。この類は世界中に存在し、古代ギリシャでも塩味とガルムと呼ばれる魚醤がこよなく愛され街中に魚醤の匂いが漂うという漁村に似た状況だったようです。

発酵がおいしさのカギ

発酵保存は古来から動植物性タンパク質を保存する知恵で、魚だけでなく肉や野菜も重しをして数か月から数年漬け込まれました。
数年漬け込まれたご飯は溶けて液状化するため、はじめは漬け込まれた具だけ食べられていました。日本人は世界的に見ても酸っぱいものが好きな民族です。それは湿気の多い気候にも関係しています。酸っぱいオカズでご飯を食べる。生の魚介肉は梅酢で食べる。酒宴でも度々登場し、朝廷への租税として献上するようにと決められていた程です。おいしものは直ぐに食べたいもの。徐々に保存期間を短くし、粒の残る酸っぱいご飯も一緒に食べるようになりました。現代に至っては、全国で地域差はあるものの醸造酢をご飯に混ぜ一日から数日で食べられる「早ずし」が主流になっています。

江戸時代後期、地方の次男から下の男たちは単身江戸の街で出稼ぎすることが多く、食事は屋台、めし屋で済ませることが多かったようです。待てない江戸っ子気質から「お鮨」を「早く食べたい!」と試行錯誤して改良、考案したのが「お酢をご飯に混ぜて酸っぱくすりゃいいや」という「早ずし」。とはいえ、今ではどこでも手に入るお酢はその頃はまだまだ高級品。こぶし大ほどもある握り寿司は結構お高いお食事でした。人気と共に扱う店も増え、価格は控えめに安定し、庶民の手の届くものとなりました。

お酢が高かった理由の一つは、酒蔵が酒粕でお酢を醸造することをためらったからのようです。酒に菌が入れば全てお酢になってしまいます。酒屋がお酢屋になりかねませんので手が出なかったようです。恐る恐る始めたことにより次第にお酢が一般化しました。 酸っぱいものが食べたければ塩に漬けた魚を蒸したお米に漬けて待つしかありません。手間や材料費も掛かり、お祭りや祝い事でないと食べられない、まさにご馳走だったのです。また、農耕中心だった以前の日本では、農作業の忙しい合間に手の込んだ料理などやっていられず、いつでも食べられる保存食は欠かせないものでした。

江戸時代には醤油もまだまだ高級品。日本の台所、大阪、京都から運ばれて来たちょっとお高い「下りもの」が主流でした。江戸時代後期、野田のキッコーマン、銚子のヒゲタなどが利根川を使い江戸の街に醤油を引き込むことでようやく江戸の醤油文化が華開きます。そのような時代背景の中、簡単に仕込まれたネタとお酢を混ぜてチャッチャと作り、醤油を付けて食べる「早ずし」が出来上がりました。

東都名所 高輪二十六夜待遊興之図 一部


寿司の生い立ち

江戸後期から、その場で作る早ずしは人気を博し、寿司屋台が街中に立ち並びました。それまでは高級品として裕福層をお客とし、祝い事に提供されることが多かったようです。「寿を司る」という意味で「お寿司」と名付けられたのが名前の由来とされます。華屋与兵衛という寿司職人がワサビ、お茶、甘酢しょうがのセット売りをし、それが流行ったので今でもそれが寿司屋の基本とされています。その他にも「松の鮓」の堺屋松五郎という高級寿司を扱う職人が考案したなど諸説があります。他にも、ワサビの代わりに山椒を挟む、笹の葉で包むなど、いろいろな試みがされていました。古典と思われる物でも創意工夫がなされ現代に伝わっているものが多く、より多くの人々に受け入れられたものが現代に残ることは変わりません。古典を改良することで新たな伝統を作る。現代に生きる我々でもそれは出来ると思います。

「すし」は「酸し」つまりすっぱい食べ物=「発酵により酸味が出た」ものを指し、「寿司」以前には「鮨」の字が使われていました。さらに古い時代では「鮓」です。

実は、現代でも鮓、鮨、寿司には大まかな使い分けがされています。
「鮓」は中国漢字で塩と蒸した米を使い魚を漬け込んだ保存食、を意味することから関西系の鮎鮓、鯖鮓、鮒(ふな)鮓などの古い漬け込み式の発酵すしに当てらています。
「鮨」は江戸前系の早ずしに使われ、握り鮨、押し鮨、棒鮨などの比較的準備期間の短い物に使われています。
「寿司」はネタに魚を使う必要がないため便利で使いやすく現代では最も多く使われているビジネス「オスシ」用語です。

諸説ありますが、「すし」は稲作と共に東アジアから来た塩漬けの淡水魚とご飯を使う魚の長期保存方法と伝えられています。

淡水魚が始まりだったようですが、日本は海に囲まれ魚の種類が豊富なことから種類は多彩に変化していきます。今では衛生法上見ることはありませんが、昭和初期までは屋台営業の寿司屋がほとんどでした。

当初の握り鮨はこぶし大ほどの大きさがあり、2 口から 1 口半で食べられる大きさでした。「たべずれぇ~な~」ということで半分に切り、2貫で一つが定着したようです。


カンピョウ巻き


現代の食べ物は「早ずし」系がほとんど

現在、我々が目にする、手にする、ほとんどの食べ物はお寿司に例えると即興の「早ずし」であるといえます。
純粋な塩とお米を使い時間をかければ出来上がるものを、「待てない!」という理由から時間が解決するシンプルな工程を複雑化し、何だか分からないものを普段考えも無く口にするのが現代人の特徴です。

残念なことに、現在では複雑化し過ぎてもはや何が入っているかもわかりません。一般的にも「分からないものを見てもしょうがない」というマインドセットがなされてしまったようです。
一般家庭から教育現場まで、材料や手順、作業風景への興味すらなくなっているのが実情です。


祝いに出されたアマゴの散らし寿司


作る過程には風情がある

大航海時代のプランテーションから、産業革命の自動化と大量生産、大量消費が富を生む仕組みがこれまでに出来上がってきました。いかに効率よく、安く、早く、簡単に食糧を確保するかを目標にしてきた結果、健康面だけではなく、食事と密接な文化に対して無頓着になってきました。必要以上に作り冷凍保存。冷凍コンテナで世界各国へ送り、店頭の冷蔵庫から家庭の冷蔵庫へと流れつく、コールドチェーンと呼ばれる物流システムが、現在、我々が知らずに組み込まれている都市生活の様式です。

じっと上から眺めてみると、末端消費者はほとんど準備しなくても食糧が手に入りそうです。ほとんど何もしない、ただただ口に運ぶ食の流通下で、何の教育がなされるべきなのか、よく分かりません。お金と機械の管理でしょうか。

「こうしようか?」という互いの創意工夫が必要になり、成功した、失敗したなどの経験を楽しむ成長意欲が人にはあります。ある程度まで行ったら、あえて遠回りでもいいんじゃないでしょうか。


忘れられていく塩と時間による本当の熟成


早くすることの弊害

保存食の生産には時間と手間をかけることがほとんどです。
「時間がかかってすぐ食べない?」意味不明のようですが出来上がったものは必要な時に食べることができます。一番の恩恵は食べる時まで他に何かする時間の余裕ができること。シンプルな材料で健康害が最小限。短期間では到底出ない旨味と栄養効果が期待でき、得も言われぬ風味をもたらすことです。
待てない理由で、それを補うための保存料、添加物をふんだんに入れ、「うまい!」と無頓着にそれを口に運ぶ生活を我々は送っています。健康害は「時間が解決してくれる」のかもしれません。


地の食材 農作業手伝いのお礼


主食が決まると副菜も決まる
お米を食べる国だからこそ生まれる国際競走力

日本人の主食は「米」と普段あまりお米を食べない人でも日本人の意識にはあるのではないでしょうか。
「主食」という概念は海外ではあまりありません。「良く食べるモノ」くらいの認識です。

農耕でも米に特化しているのは東アジアの国々がほとんどで、それ以外は食べたものが食事です。ベースとなるものが決まっていれば副菜を準備しておけば時短となります。「これとこれの組み合わせが~にいい」など経験則も使え簡単な健康管理もできます。米食文化は食事がサプリメントです。

「早ずし」系の現代でもベースは保存食

「早ずし」に例えた現代の即席文化であっても根底を支えているのは日本であれば鰹節、昆布、煮干し、干しシイタケ、などに代表される常温保存できる保存食たちです。それらを使い即席をわざわざ作る手間を省き保存食から何か作ることが出来たら、冷蔵庫はあまり必要ではありません。
冷蔵庫のあまり普及していなかった時代、家庭では常温保存できる常備菜が何皿か茶箪笥(ちゃだんす)に入っていました。忙しい農家では、ふいの来客があっても慌てないように常に何かしらの食事の準備がしてありました。

現代の忙しい生活と共通な面はあるようです。都会暮らしを生産現場と捉えることで都会と地方とのつながりも見えてくるかもしれません。
都会と地方はお互い無いモノねだり。互いの需要と役割が分れば相互に助け合うことはこれからも可能だと思います。 

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