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三田一膳の計

千葉県のおへそのあたり、房総半島の中央部にある里山で今年田んぼを3枚借りることができました。3枚ある田んぼの2枚でお米を確保。あとの1枚で野菜を育てる計画。田畑を一膳のお盆に見立て、ご飯、みそ汁、漬物、副菜を3枚の農地で賄う、三田一善の計。農地3枚でひとセット。足りないものはお盆に無いもので分かる。自分の物ではないオカズからは協力関係を目で確認することもできる。食事をしながら必要なものが分かり、今の理解が深まる。

北海道のヒグマ。頂いた命は無駄にはしないカムイ思想

動物性たんぱく質、海産物、果物などは既に付き合いのある各地の仲間からいただくことがある。ある時は加工して返礼し、ある時は使用状況を知らせることで物と情報の物々交換を行う。

田んぼの畔で育つ大豆は味噌や醤油、納豆、豆腐、きな粉などにもなる。香りが貴重な小豆も田んぼの畔で自分で育て、時間をかけて煮ることで行列店に負けないものが出来上がる。
基本は保存食。常温でも保存が効く発酵食品、乾物、漬物、塩漬けなどを中心にその時採れるものを加工していく。余った物は非常時の備えになり、仲間との物々交換、返礼やお礼、普段の常備菜、贈り物として重宝する。日本の食事はシンプルなゆえに効能が分かる。ご飯を基準にサプリメントとしてオカズを食べれば体調管理ができるのである。
食材の質があがると少量、少数の食事で栄養だけでなく心も満たされることが分かる。それがシンプルイズベストというものだ。

人には体の栄養と心の栄養が不可欠だ。都会生活で常に食べ物を欲するのは心の栄養を求めているためだ。つまりはエンターテイメントして食べている。そのため変わったものが食べたくなり、刺激の強いもの、ジャンクなもの、お酒も頻繁に欲しくなりストレスを緩和する。
質の無い食べ物にあふれた都市生活では食べてる割には健康にはならない。
むしろ食べるほどに不健康になり、みごとな負のスパイラルへ落ち込んでいく。それを見越した飲食ビジネスの世界では、パーティーフードで人の気を引き、良し悪しも分からなくなってしまった人のために街は食べ物情報で埋め尽くされる。街では身体がミリ単位で病んでいく食生活がデザインされている。食べ物、生活用品、医療、保険がセットで経済を回す仕組みとなっているのである。

現代病の多く要因は、過度なストレスと、簡易製造化を進めた影響による発酵微生物食品の欠乏だ。減塩も食品の質を落とす。日本の気候に合った発酵と熟成が望めない食品の製造は無駄に人工物を入れる悪循環を作る。ミネラル塩による化学変化、優良な微生物の発生が起こらないため保存や旨味の形成は添加物に頼るしかない。その多くは名前は同じでも似て非なる石油由来の製品が多い。商品の製造工程を気にしない大多数の今の日本人にとって驚くべき事実はその手に取っている食品の中に数多く存在する。
塩を抜くと人は気力が出なくなる。かつての日本では「塩抜きの刑」というつらい刑罰があった。食塩がダメな理由はフィルターに掛けたナトリウム過多塩であるためだ。海水を天日に干したミネラル塩ではバランスよくカリウム以外にも豊富なミネラルも入るため悪影響が出ない。適度に塩気のある体液と浸透圧の働きで細胞の代謝が上がる。水分循環により老廃物も出るのだから若返ることが予想される。人体も田畑の構造も基本的には同じだ。水が重要で生き物が多く代謝が良いほど元気が出る。人は細胞に寄生したミトコンドリアからエネルギーを貰って生きている。消毒ばかりの都会生活で体内の過疎化が進んでいることが理解できるだろう。


田ぐるまによる除草作業。エネルギー交換の場だ。

去年までは地元の方のお手伝いをさせてもらい、一緒に6枚の田んぼと数枚の畑を耕作しました。私鉄の沿線の景観整備にもたずさわり自分のためだけでない田舎の風景を作る大切さを学びました。
美しい景観作りには見た目だけでない意味があります。

きれいになると人も生き物も集まってきます。
生き物との関わりが目視できるようになり、田舎の風景が綺麗に見えます。観光で訪れる人たちにプラスのエネルギーが伝わり、何かわからぬまま癒され、リフレッシュして帰っていきます。都会では感じられない自然との連携がそこにあり、人が足並みを揃え程よく関わることでエネルギーが増幅していきます。バランスを保つには人が欲張りすぎず手を出しすぎないことが肝心です。役割を理解し使わせてもらう感謝と程よいリターンが互いの共存には不可欠です。

食べ物の生産に関わり周りから聞こえる最初の声は「食べ物は買った方が安上がり」、「採れる生産量に対する労働時間が合わない」、「大変だ」、「めんどうだ」などその時だけの言動で背景が見えていないことがうかがえます。それらは時間労働、賃金労働に長い間身を置いてきた有限責任の影響を強く感じます。サービスを与えられることが当たり前になっている街の生活では、与えることに不安や失敗、恐怖を抱く風潮があります。慎重になり他人の心配をする反面、起こった失敗には無関心でそれぞれの孤立化を助長します。人にあふれる都会に住みながら「出逢いがない」など、お膳立てしてもらい与えられることに慣れている現状が浮き彫りになります。

普段、我々が「おいしいものをより安く!」とお金のことを心配をしている間、それらを作っている農家さんたちの時給がいくらくらいか知っていますか?あるところの調べによると、平均して時給数十円~数百円です。これは国の補助金を含めた額ですので我々に食べ物を供給する生活がいかに大変かがわかると思います。
それを理解し消費者は食べ物と向き合っているか、といえばそうではないと思えます。

東京都の最低賃金が現在1072円。

農家さんがそれでも作物を作るモチベーションは何なんでしょうか?
頑張っても年収200万円に満たない人の多い業界です。
それだけの時間と労力、経費もかかる作業でありながら自分以外の人のために米や野菜を作る。モノを作ることが好き。自分の先祖から続く土地を守る。最終的に残るのは国民の生活を守る責任感とプライドです。精神的な部分です。

都心とのつながり

数年前に住み慣れたアメリカから日本に帰国。東京都を中心にケータリング、出張料理、食べ物イベント、文化講習、食育支援など、食べ物に関する活動をしてきました。活動の合間に知り合った千葉県のとある限界集落で仲間と共に地域支援を開始。数年間、支援を通して地元の方々の経験や知識を分けてもらいました。足りない労働力を補う傍ら、お互いの意見や情報を物々交換することで関係を築いてきました。
一旦すべてをお金に換算することで感じてしまう「割に合わない」などの無駄な損得勘定が無いのが物々交換のいいところです。思いやりと感謝が先行しお礼がしたくなります。

今年3月下旬、東京都から千葉県に移住。元は棚田だったという山間の田園作りを開始。「刈りてぇけど、体力がねくてさ」という高齢になった現場の地主に代わりに耕作放棄地の草刈りも実施している。昨年は、菜の花の種まきなどの環境整備も支援しました。限界集落では70歳を超える高齢者が農作業の主役です。そのため動ける労働力は大いに歓迎されます。お金で買えないものは、足りない体力を援助する代わりに、地元の方々の知識や経験を分けてもらえることです。関係が出来てくるとみんなして頭を使うようになり、記憶も蘇ります。そうすることで、さらに深い知識を分けていただけます。
去年までお世話になった指導者には毎回土地の食材を使った食事をごちそうになりました。
支援の関係が深まると町役場にも知り合いができました。雰囲気のある公民館も休憩施設として使うことができ、お互いの持っているモノを交換しあう物々交換が出来るようになってきました。地域支援というのは堅苦しいものではありません。どちらが先でもなく、どちらも先という人間関係です。

そこに訪れる度に、米や野菜の育て方、山菜の取り方を学びました。現代ではやる場所も限られる焚き火や野焼きで火の扱い方を学びました。雑草と土、微生物との関係、水の良し悪し、獣との付き合い方なども学ばせていただきました。
山の景色と豊富な水、自然を駆け抜ける私鉄、点々と作業をする人影がジオラマセットのような景色を作ります。

農薬や化学肥料は極力使わず、無理せず程よく人の手を加える、穏やかな自然農法を実践。都会と地方、全国にいる活動グループ、世界の友人と声を掛け合い意識をつなげる活動をしています。

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