完璧な親を子どもは求めていない
最近、気が付いたことがある。
まず、子どもがしっかり自立して好きなことをしている親は、穏やかだ。子どもに何も強制しない。
そしてもう1つ、心を病んでしまっている子ども(昔子どもだった大人)の親は、教育熱心で厳しい。
これは、色々な人たちに聞いて回って私が体感したものだったのだけど、調査すると法務省の犯罪白書にも統計が載っていた。
これはあくまで、親の態度が厳しすぎると感じる非行少年の割合が一番多いということで、親が厳しいと子供が非行少年になる、ということではない。
でも、子どもが親に感じているものとして「厳しい」が一番多いということは事実であり、何か関係があるのだと思う。
ということは、やっぱり、子どもに厳しくしない方がちゃんと育ったりするってこと?
そういえば、私の親もすごく厳しくて、話を聞いてもらった記憶はあまりない。
私といえば、子どもに厳しくしているつもりはないけど、"ちゃんと育てなければ"という責任感が強過ぎて、完璧を目指しすぎていたかもしれないとは思う。
"完璧なお母さんになれない自分が許せない"
とずっと思っていた。
精神科に通院することになって、先生に言われたこと。
「お母さんはいるだけで、
家事ができなくても、ご飯が作れなくても、
ちょっとイライラしちゃう日があっても、
いないより、いるだけで子どもの精神衛生面にはプラス100万点。
それは本当のこと。いるだけでもうプラス。
子どものためにもっと何かできちゃったらすごい!すごいプラス!
でもね、あなたが自殺したら、こどもにはマイナスしかないよ。
それでもそっちの方が良いと本当に思う?
これは本当によく考えて。」
色々な精神科医に会ったけど、いつもケンカ別れしていて治療が続かなかった。
今回の先生は、理論的にプラスとマイナスで説明してくれたのが、今までで一番、私にはとても分かりやすかった。
そして私は先生の言う通り、ちゃんと考えてみた。(根は真面目。)
結論。
私の調査と先生の話を合わせると、私が子どものために目指していた完璧なお母さんになることは、逆に子どもを追い詰めるだけで、実は子どものためにならない可能性がある、ということがわかった。
そして私が完璧なお母さんにならない方が、子どもは伸び伸び育つかもしれない。
だったら、完璧にならなくていいんじゃないか。
子どものためにならないなら、目指す意味なし。
ならば、私はしっかりしていないお母さんになってみようかな。
素晴らしいお母さんを目指すのはやめよ。(目指してもできなかったしね。)
私の目標は子どもたちと生きていること。それだけ。
ただそばにいるだけでも、私の存在が子どものためになっているのなら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?