保育園で泣いた日♯2
声を出して泣くこと
赤ちゃんは、産まれた時に全身の力で泣いて生きているよ!とお母さんに伝える。
発達する段階でも、初めは心地よい(快)か、心地よくない(不快)か、しか感情が存在しないから、不快の感情を泣いて表現し、その不快に対応してもらうことの繰り返しで愛着形成が出来ていく。
私には小さい頃の記憶があまりないので、覚えていないことがほとんどだが、泣いて母親に甘えたような記憶はない。
それでなくても、大人が声を出して大声で泣くなんて経験はほとんどないのではないだろうか。
世界は優しさでできていた
私が急に号泣したことで、保育園の先生たちはびっくりしただろうし、保育士の先生に「自分の言葉でお母さんを追い詰めてしまったんじゃないか」なんていう思い違いをしないで欲しい、と思いながらも涙と嗚咽が止まらず、見兼ねたどなたかが私を事務所まで連れて行ってくれた。
その方が園長先生だったと気が付くのにずいぶん時間がかかったほど、私は放心状態になっていた。
そんな状態の私に、お茶を出し、
「何もできてないなんて、そんなわけないのよ。お母さんが生きてることはそれだけですごいんだから。いいのよ、それだけで。いやーね、そんなに一人で背負うことないの。」
と明るく微笑む園長先生がいた。
「落ち着くまで休んで、そのあと大丈夫になればお子さんここまで連れてくるからね。私そこで仕事してるわね。落ち着いたら話聞くからね。」
あぁ、世の中にはこうやって、血のつながりも何もないのに、あなたはそのままで、生きているだけでいい、と言ってくれる優しさがあったんだ。
本当に私はそのまましばらく…というかかなりの時間事務室で休ませてもらい、どうにか子どもを連れて家に帰ることが出来た。(保育園の皆様ごめんなさい。ありがとう。)
「助けて」って言ってもいい
思えば、最近自分の体調も快方に向かってきたので、家でも夫の飲み会を喜んで送り出し、夫の家族からの頼み事も請け合い、自分が何かの役に立ちたくて、就職活動も始めていた。気がつかなかったけれど、ストレス要因満載だったわけだ。
ほんとうは心では助けてって思っていたんだ。
そしてわたしは何でも一人でできる"いい子"をやめることにして、みんなにたくさん「助けて」って言える大人に進化していくことにする。
たくさんの人に「助けて」と言える。それが本当の意味での自立なんだから。