キラキラ店員さんと花粉症な私(2008年39歳)
花粉舞い散る4月。
すでに家の中でも鼻水ダラダラな私は、がっちりマスクプロテクションで近所のスーパーへと向かった。
コロナ禍ではなかったこの頃。街中でのマスク姿はまあまあ珍しく、まあまあ目立つ。
春だからおしゃれを楽しみたいのだが、こればかりは致し方ない。
とは言え、眼球は丸腰だった。今現在(2019年)は眼鏡でもブロックしているが、当時は世の中的にも私的にもまだその観念が薄かったのである。
結果、一糸まとわぬ眼球は花粉の猛襲をモロに受け、ムズムズゴロゴロループを発動。
「うおー!かゆい!ズビー(←鼻水をすする音)」と悶絶しながら歩くことになった。
にもかかわらず!……と言うか、このストレスゆえの欲望「春だし、洋服見たいんじゃー!」も突如同時発動。
我が足は、自我を持ったかのように勝手にスーパーを通り越し、駅前の商業施設へと驀進したのであった。
到着後、煩悩の赴くままに向かったのは、たーまに訪れるカジュアルテイストなお店であった。
比較的コンパクトな店舗面積ではあるが、お肌がホッとするような天然素材の服を多く取り揃えている。
ちなみに私は、買い物をする前に「店内の人数構成」を把握しておくクセがある。限られた時間内に、誰にも邪魔されず、自由に集中して物色できるかにかかわるからだ。
でもって現況は、お客さん0名・女性店員さん1名(いつもは大体2名)。店員さんとタイマンになる確率が非常に高い。なので、ここはひとつ「話しかけないでオーラ」をまき散らしながら、ガーッと進めるしかない。……よっしゃ、集中するぞ!
とかなんとか、勢い勇んではみたものの、実際見始めるといつになくペースがのっそり。もう、どうにもこうにも、鼻水と鼻づまりで脳からのあらゆる指示がうすぼんやりしてしまうのだ。
そんな私の元へ、当然の如く店員さんが颯爽と接客につかれた。
見れば、スラリとした若きお嬢さん(20代後半位)。
しかも、オーラが爽やかな上に華やかで、キラキラ感がハンパない。一足早い初夏の日差しのようなのである。
『ま、眩しっ!!この充血眼ではとても正視出来ない!目がやられる!』
花粉の炎症で悲愴感漂う己とのギャップに、思わず目をそらし、ちょっと居たたまれない気分になる。ただでさえ、買い物中に話しかけられるのが苦手なのに……。
そこで私は決意した。『この棚だけ見たら、さっさと帰ろう』。
ところが。何とはなしに応対したところ、内面もとても晴れやかで気の良い娘さんなのである。
その上、一を聞いて十を知る聡明な方。こちらのぼんやりつたないニーズのカケラを的確に汲み取り、驚くほどポイントを押さえた服をご提案下さった。
おかげで、ものすごくすんなり、なにより気持ち良く服が決定。
ふたりは清々しい笑いとともに、レジへと向かったのだった。
さて、お会計の際。
店員さんはふとレジから目を離し、「(マスクをしているのは)風邪ですか?」と聞いて来られた。
私は苦々しく花粉症事情を伝えた。
すると彼女は洗練された眉をキュッと寄せ、「そうでしたか!!大変なんですね……」とゆっくり頷いた。
そして、少し間を置いて告げたのだ。
「実は……私の姉が、風邪だと思っていたら、心の病気みたいで……」
お顔からは、表情がすっかり消えていた。
まだ一般的に心の病気があまり認識されていなかった、その時分。お話の続きによると、ご家族で追い込まれており、かなり深刻に悩んでおられるようだった。
思いがけない告白に、私は最初少々戸惑った。
『こんなにも深刻そうお話を、見ず知らずとは言え、地元民の私が聞いてよいものか……』
とは言え、大きな動揺は無かった。
何故なら、自分も学生時代にパニック障害を経験していたから(電車やバスに乗るのも、毎回死にそうに苦しくなり本当に大変だった)。そして今はもう大丈夫だから。
ただし、自分の経験は敢えて話さなかった。
店員さんの状況を鑑みて、伝えることより聞くことが大切だと感じたからだ。
現に、店員さんの表情はお話を進めるにつれ、わずかに緩み始めていた。
……ひとまずホッとする。
『そっか、もしかしたら知り合いだと逆に話しにくくて、今までなかなか吐き出せなかったかもしれないな……』
しみじみ彼女を見る。こんなにキラキラした方にも、深刻な悩みがあるなんて……。みんな何かを抱え、人知れず静かに戦っているのだ。
間もなくひと通り話し終えた彼女は、ふと笑顔を浮かべた。
けれど、それは今にも消え入りそうに危うく、私の心を揺さぶりかけた。
それでも私は直感した。『この子なら、絶対大丈夫!』。
だって前進しようとする内なる力を感じるし、本質は決して曇っておらず、光すら見えるからだ。
だから絶対大丈夫。そう私が信じ切ることが、今この瞬間すごく大切なのだと何故か思った。
おそらくお姉さんの件は、何らかの軌道修正のため、運命的に敢えて与えられたものなのだ。だから、聡明な彼女なら必ずや乗り越えて素晴しく成長し、これまで以上に幸せになっていくだろう。
その人がその時に乗り越えられる力があって、更に良い道へと進める時だからこそ、物事は起こるのだ。まだ乗り越えられないことは、決して起こらないのだ。人生そんなに意地悪じゃないのだ。
私はそんな確信を抱きつつ、店先まで見送ってくださった彼女に、『絶対大丈夫だよ!大丈夫だからね!』という、視線と念を強く送って大きく頷き、家路についた。
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それから半年後。私は同店を訪れた。
真っ先に彼女の姿を探す。……が、勤務日ではなかったからか、見つけることは出来なかった。
『まだ元気に働いておられるのだろうか……』
他の店員さんに伺おうかとも思ったが、わざわざ触れるのも何なので、彼女もご家族も元気でおられることを切に願い、その日は買い物もそこそこに家路についたのだった。